※画像はイメージです。津田越前守助広
Tsuda Echizen no Kami Sukehiro
別名: 二代助広・角津田・丸津田・濤瀾刃の創始者・新刀最上作
解説
大坂新刀の巨匠
津田越前守助広(つだえちぜんのかみすけひろ)は、1637年(寛永14年)に摂津国に生まれた江戸時代前期の刀工である。初代助広、通称「ソボロ助広」の養子となって鍛刀を学び、1657年(明暦3年)に越前守を受領した。のち大坂城代の青山宗俊に仕え、大坂新刀を代表する名工となった。新刀最上作にして大業物と位置づけられる。
濤瀾刃の創始
助広の名を不朽にしたのは、自ら創始した「濤瀾刃(とうらんば)」である。大波が寄せては返すさまに見立てられるこの刃文は、大きくうねる湾れの頭に丸みを持たせ、匂口深く沸づいた華麗な景色を生む。この作風は同時代の大坂の刀工たちに強い影響を与え、さらに時代を下って新々刀期の刀工たちにも受け継がれた。日本刀の刃文史における一大発明といってよい。
角津田と丸津田
助広は生涯にわたって銘の書き様を変えており、これが年代判定の手がかりとなる。二十二歳から三十歳頃までは「源」「藤原」を冠する銘を切り、三十一歳から三十八歳頃は「津」の字を楷書で角張って切る「角津田」、三十八歳から四十六歳までは草書風に丸みを帯びて切る「丸津田」と呼び分けられる。
評価と遺作
助広は1682年(天和2年)、四十六歳の若さで没した。短い生涯ながら約1700口を残したと伝えられ、その作域の広さと質の高さは群を抜く。江戸の堀川安定と並んで新刀の横綱と称され、同じ大坂の井上真改とともに大坂新刀の二大巨頭として最高の評価を受ける。両者による合作刀も伝存し、当時の大坂鍛冶界の充実ぶりを物語る。
逸話・伝説
助広が創始した濤瀾刃は、大海の波濤が寄せては返すさまを刃文に写したものと語られる。四十六歳の短い生涯に約1700口を鍛えたと伝えられ、大坂の井上真改と並び「大坂新刀の二大巨頭」と称された。両者の合作刀は、競い合いながら互いを認めた当代随一の名工同士の関係を今に伝えている。