※画像はイメージです。その他の名刀脇指重要文化財
斎村貞宗
Saimura Sadamune
別名: 斎村政広没収の貞宗・尾張徳川家伝来
解説
播磨赤松家臣が佩いた貞宗
斎村貞宗(さいむらさだむね)は、相州伝の名工・貞宗による脇指である。貞宗の作には確実な在銘の遺例がほとんど無く、本刀も刀身は無銘ながら、差表に本阿弥光徳による金象嵌の「貞宗」の極め銘、差裏に朱銘の花押を有する。刃文は浅い湾れ調の直刃に乱れを交え、茎は生ぶ。刃長三十・四センチ、反り〇・五センチ。播磨国赤松家の家臣・斎村政秀が所持していたことからこの名で呼ばれる。
鳥取城焼き討ちと没収
政秀の子・斎村(木下)政広は、関ヶ原の戦いに際して当初西軍に与したが、西軍本陣潰走の報を受けて東軍に降伏し、徳川家康の命により西軍方の因幡鳥取城を攻めた。しかしこのとき城下まで焼き討ちして民家に火を放った咎で家康から切腹を命じられ、本刀は没収されたと伝わる。元和元年(1615年)十一月、駿河御分物として尾張徳川家に分与され、以後同家に伝来した。
指定と現状
本刀は重要文化財に指定されている。現在は個人の所蔵で、東京国立博物館に保管されている。
逸話・伝説
武功と処罰が表裏一体となった逸話
斎村政広は鳥取城攻めで戦功を挙げながら、城下の焼き討ちという軍律違反によって家康から切腹を命じられた。論功行賞が単なる勝敗だけでなく戦のやり方そのものを問うものであったことを物語る逸話である。没収された本刀が徳川御三家の一つ・尾張徳川家の重宝として伝わったことは、名物が処罰の記憶を静かに帯び続けている例といえる。