※画像はイメージです。太刀 銘 左(名物 大左文字)
Tachi signed "Sa" (Meibutsu Ōsamonji)
別名: 大左文字・二条城御腰物
解説
概要
「大左文字(おおさもんじ)」は、南北朝時代の筑前国(現在の福岡県)で活躍した左文字(初代・安吉)の代表作と伝わる太刀で、茎に「左」の一字銘を切る。左文字一派の作の中でも特に体躯が大きく出来が優れることから「大左」「大左文字」と呼ばれ、豊臣家の御腰物帳においても筆頭に位置づけられた由緒ある一振である。
作風
左文字(安吉)は、相州正宗のもとで学び、故郷の筑前へ帰る際に正宗から己の左袖を授けられ、これに感激して家宝とし「左」を姓としたという逸話が伝わる名工である。この逸話にちなみ、作品の茎にも「左」の一字を銘として切るようになったとされる。作風は相州伝の影響を色濃く受けた覇気ある出来を示し、大板目肌に地沸が厚くつき、のたれに互の目の交じる変化に富んだ刃文を焼く。左文字一派の作は「天下取りの刀」とも称され武将たちの憧れの的であったが、本作はその中でも屈指の大身であり、その堂々たる姿から「大左文字」の名を冠せられた。
来歴
本作は豊臣家の御腰物帳に筆頭として記載されるほどの名物であった。慶長16年(1611年)、京都・二条城において徳川家康と豊臣秀頼の会見(二条城会見)が行われた際、家康は祝いの盃を交わす中で本太刀と脇差を秀頼に贈ったと伝わる。当時69歳の家康と17歳の秀頼による、この会見は徳川と豊臣の力関係を象徴する歴史的な場であった。大坂の陣を経て豊臣家が滅亡した後、本作は徳川家に戻り、駿府御分物帳にも記載される家宝として尾張徳川家に伝わったとされる。
指定と現所蔵
国指定文化財ではないものの、享保名物帳等の名刀目録に記載される名物として古くから武家社会で重んじられてきた。現在は名古屋市の徳川美術館が所蔵し、同館の刀剣コレクションの中核をなす一振として保管・展示されている。
逸話
大坂の陣を目前に控えた二条城会見での太刀の贈答は、単なる儀礼を超えて両家の政治的な力関係を映す象徴的な出来事であった。数年後に豊臣家が滅亡することを思えば、この贈答の場面は歴史の転換点を刻んだ一幕として今も語り継がれている。
逸話・伝説
1611年の二条城会見で、徳川家康は祝いの盃とともに本太刀を豊臣秀頼へ贈った。数年後に大坂の陣で豊臣家が滅びることを思えば、この贈答は両家の力関係の転換を静かに物語る歴史の一幕であった。