※画像はイメージです。短刀重要文化財
桑山光包
Kuwayama Mitsukane
別名: 来光包・中堂来・前田家伝来
解説
中堂籠りの刀工・光包の短刀
桑山光包(くわやまみつかね)は、鎌倉時代後期に活躍した刀工・光包の短刀である。光包は備前長船派の長光の落胤とも伝えられ、山城の来派を大成した来国俊に学んだのち近江国大津へ移り、延暦寺の根本中堂に籠って作刀したことから「中堂来」「来光包」とも呼ばれる。地鉄は板目肌がよく詰み、刃文は来国俊の作風を受け継いだ細直刃に小丁子を交え、表裏に不動明王を表す剣と梵字、護摩箸の彫物を施す。刃長八寸九分五厘(約二十七・三センチ)の在銘平造。
桑山家から前田家へ
号は、豊臣秀吉の家臣で大和御所藩主・桑山重晴の子、桑山元晴が所持したことに由来する。寛永七年(1630年)、嗣子のないまま没した桑山貞晴の跡目相続にあたり、弟の桑山栄晴が二代将軍徳川秀忠に本刀を献上し、これによって桑山家は千石の旗本として存続を許されたと伝わる。寛永十三年(1636年)、三代将軍徳川家光は加賀藩二代藩主・前田利常の功に報いて本刀を下賜し、以後は加賀前田家に伝来した。
指定と現状
本刀は重要文化財に指定されている。現在は個人の所蔵となっている。
逸話・伝説
一振りが家名を救った跡目相続
桑山家は秀吉股肱の臣・桑山重晴を祖とする家だが、二代貞晴は嗣子なく病没し、大名としての桑山家は一度断絶の危機を迎えた。弟の栄晴がこの光包の短刀を携えて江戸城に上がり、二代将軍徳川秀忠に献上したところ、家名の存続が許され、桑山家は千石取りの旗本として続いたと伝えられる。名刀の献上が家の存続の危機を救った一例として語られる。