※画像はイメージです。愛染国俊
Aizen Kunitoshi
別名: 愛染国俊・二字国俊の短刀・加賀前田家旧蔵
解説
愛染国俊(あいぜんくにとし)は、鎌倉時代後期の山城国来派の刀工・国俊が鍛えた短刀である。「国俊」と二字にのみ銘を切る通称「二字国俊」の作で、二字国俊の在銘短刀としては唯一現存する一口とされ、その希少性から高く評価されている。
号の由来と彫物
号は、茎(なかご)に施された彫物に由来する。茎の「国俊」銘の上には、密教の明王である愛染明王が毛彫りで刻まれており、この愛染明王にちなんで「愛染国俊」と呼ばれる。刀身には指表に素剣、指裏に棒樋・腰樋が彫られている。仏教尊像を茎に彫り込んだ点に信仰的な性格がうかがえ、彫物の見どころとなっている。
作風
来派らしい澄んだ地鉄を地として、小板目のよく詰んだ地肌に焼きを入れる。来派は山城伝の名門であり、地鉄の精緻さと品位を特徴とするが、本作もその系譜にふさわしい上品な作行きを示す。短刀ながら彫物と地刃の調和が際立ち、来国俊の技量を端的に伝える名品である。
来歴
本作は加賀前田家に伝来したことで知られる。正保元年(1644年)、徳川家光の養女であった母・大姫が初めて江戸城へ参府した際、幼少の犬千代――のちの加賀藩四代藩主・前田綱紀――に与えられたと伝えられ、以後、金沢の前田家に代々受け継がれた。
指定と現所蔵
昭和八年(1933年)に侯爵前田利定の名で重要美術品に認定され、昭和十年(1935年)には旧国宝保存法のもとで国宝に指定された。昭和二十五年(1950年)施行の文化財保護法により、現在は「短刀 銘国俊(名物愛染国俊)」として重要文化財に指定されている。前田家の所蔵を離れたのち個人蔵となり、現在は大阪府茨木市の法人が所有している。
逸話・伝説
愛染国俊の作者をめぐっては、山城来派の刀工「国俊」に二人説がある。「国俊」と二字のみ銘を切る「二字国俊」と、「来国俊」と三字に銘を切る刀工とでは作風が異なるため、両者は別人とする説が有力である。二字国俊の現存作は太刀が中心で、短刀は本刀のみと伝えられ、それゆえに本刀はきわめて貴重とされる。 号の「愛染」は、刀身の表に密教の愛染明王を、裏に倶利伽羅龍を彫り表したことに由来する。愛染明王は煩悩即菩提を象徴する明王で、武家のみならず信仰の対象として広く崇敬された。彫物の主題からも、本刀が単なる武器を超えた信仰的・美術的な性格を帯びていたことがうかがえる。 本刀は加賀百万石を治めた前田家に伝来し、同家の重宝として大切に守られた。前田家は数多くの名刀を蒐集したことで知られ、愛染国俊もその刀剣コレクションを代表する一口であった。 昭和十年(1935年)に国宝保存法のもとで旧国宝に指定され、戦後の文化財保護法施行により重要文化財となった。後に前田家の手を離れ、現在は大阪府茨木市の法人が所蔵する。来派の澄んだ作風と精緻な彫物を兼ね備えた、二字国俊唯一の短刀として刀剣史にその名を刻んでいる。