※画像はイメージです。謙信景光
Kenshin Kagemitsu
別名: 謙信景光(けんしんかげみつ)・上杉謙信の愛刀・元亨三年紀の国宝
解説
謙信景光(けんしんかげみつ)は、備前長船派の名工・景光(かげみつ、生没年未詳)が鎌倉時代後期・元亨3年(1323年)に製作した国宝の短刀であり、上杉謙信(うえすぎけんしん、1530〜1578年)が生涯にわたって愛用した刀として知られる。埼玉県立歴史と民俗の博物館(さいたま市)に所蔵され、今日も上杉家ゆかりの至宝として伝えられている。
景光は長光(ながみつ)の子とされる備前長船派の刀工で、父・長光の造形美をさらに精緻化し、「小丁子(こちょうじ)」と呼ばれる小さな丁字形の刃文を連ねた独自の作風で知られる。景光の小丁子乱れは後に「景光の小丁子は天下一品」と称されるほどの完成度を誇り、足利将軍家・諸大名の間で特に珍重された。謙信景光の刃文も小丁子乱れを中心に華麗な変化を見せており、「元亨三年」の年紀と「備州長船住景光」の銘が茎(なかご)に刻まれていることから、製作年代が明確に特定できる数少ない国宝刀剣の一つでもある。
上杉謙信がこの刀を愛用した背景には、謙信の強い仏教信仰と武神・毘沙門天への篤い帰依がある。謙信は自らを毘沙門天の化身と信じ、合戦の前には必ず刀に手を合わせて毘沙門天の加護を祈ったと伝わる。謙信景光はその祈りの対象となった霊刀として、単なる武器を超えた宗教的な価値も担っていた。謙信の死後(1578年)は上杉家に伝来し、近代以降は埼玉県の所有となり同館に保管されている。
逸話・伝説
謙信景光には、毘沙門天の化身とも呼ばれた上杉謙信の霊力と結びついた数多くの伝説が残っている。川中島の合戦(1553〜1564年の五回にわたる武田信玄との戦い)において、謙信が最も激しかったとされる第四次川中島合戦(1561年)の前夜、謙信は一人で武将の間に籠もり謙信景光を手に持って一夜中祈り続けたという。翌朝、刀を鞘に収めた謙信が馬上で「毘沙門天が夜明けの光の中に現れ、勝利を告げた」と語ったと伝わる。この合戦において謙信は自ら武田本陣に突入し信玄と直接刃を交えたとも伝えられており、その際に謙信が振るっていたのが謙信景光であったという。また謙信の死後、この刀を一目見ようと諸国から武士・公家・僧侶が上杉家の本拠地を訪ねたという記録があり、謙信と景光の霊力が一体化した刀として日本刀史上の伝説的な地位を占めている。