※画像はイメージです。岩融
Iwatooshi
別名: 弁慶の薙刀
解説
岩融(いわとおし)は源義経の忠臣・武蔵坊弁慶(1155〜1189年)が生涯の武器として用いたとされる伝説の薙刀(なぎなた)である。弁慶は京都の五条大橋で義経と対決した際にこの薙刀を振るったとされ、その後は生涯義経に忠誠を誓い、「弁慶の薙刀」として後世に語り継がれる武器となった。「岩をも通す」という意味の名が示す通り、その圧倒的な威力は岩をも貫くほどであったと伝説は語る。刀工については平安末期の名工・三条宗近作との説が伝わるが、史実的な根拠は確認されていない。薙刀は刃長が長く、柄に取り付けて使う刀の一種であり、弁慶の巨躯にふさわしい武器として描かれることが多い。現在、かつて鞍馬寺に奉納されていたとの伝承があるものの所在は不明であり、失われた名薙刀として日本の武家文化史の中に生き続けている。また、刀剣乱舞においても人気キャラクターとして登場し、弁慶と義経の主従関係を象徴する存在として広く親しまれている。
逸話・伝説
岩融にまつわる最も印象的な伝説は衣川の戦いにおける弁慶の「立ち往生」である。義経を守るために一人で藤原泰衡(奥州藤原氏)の軍勢を相手に矢を全身に受けながらも立ったまま絶命したとされる弁慶は、その最期まで岩融を握り続けていたとされる。弁慶の死後、この薙刀は岩に刺さったまま抜けなくなったという伝説があり、そのことが「岩融」の名の由来ともされる。また、弁慶が若き日に比叡山で修行していた頃、この薙刀を持って武者修行をしていたという逸話も伝わり、千人の刀を奪ったという伝説でも弁慶の武器として描かれることが多い。