※画像はイメージです。青木兼元
Aoki Kanemoto
別名: 真柄切兼元・刀 銘 兼元
解説
青木兼元(あおきかねもと)は、室町時代に美濃国関(現・岐阜県関市)の名工・孫六兼元(関孫六)が鍛えた打刀で、重要美術品に認定されている。孫六兼元の作刀の中でも特に優秀な一振りと評され、天下三作(正宗・吉光・義弘)に次ぐ評価を受ける孫六兼元の最高傑作との声も高い。
孫六兼元(二代兼元とも)は美濃関を代表する刀工で、「関の孫六」として今日でも広く知られ、刃文の特徴に「三本杉」と呼ばれる独特の互の目を得意とした。三本杉とは、互の目が三本一組となって連続する特徴的な刃文で、美濃伝の実戦的な美しさを体現している。青木兼元は指し表に「兼元」二字銘を切り、美濃伝の特色である板目・杢目交じりの地鉄に地沸がよく付く。刃文は「関の孫六三本杉」と称される特徴的な互の目乱れを示し、沸付きが細かく均一で帽子は直に返る形。
刃長は70.6cm(二尺三寸三分)と実戦刀として標準的な長さを持ち、姿は均整のとれた「鎬筋」が際立つ実用美を兼ね備えている。
来歴については、元亀元年(1570年)の姉川の戦いで徳川方の武将・青木一重がこの刀を用いて朝倉勢の猛将・真柄直隆・真柄直澄兄弟を討ち取ったと伝わり、「青木兼元」「真柄切兼元」の名が生まれた。真柄直隆は「次郎太刀」と呼ばれる大太刀を操る大男の豪傑として知られており、その直隆を打ち倒した青木兼元の名声は戦国武将の間で広まった。青木一重の没後は遺言により丹羽長秀の嫡男・丹羽長重へ贈られ、近代まで児玉丹羽氏に伝来した。昭和14年(1939年)9月、重要美術品に認定された(当時の所有者は丹羽長徳子爵)。
逸話・伝説
青木兼元は姉川の戦いにおける真柄兄弟との死闘の伝説で最もよく知られている。真柄直隆は「太郎太刀」という巨大な大太刀を操る戦国屈指の豪傑として恐れられていたが、戦場では数人の武将が太郎太刀の一閃で斬り倒されたという。青木一重はこの直隆に正面から挑み、青木兼元の鋭い切れ味と「三本杉」の刃文に宿る霊気が直隆の大太刀を真っ向から受け止めて折り、直隆の喉を仕留めたという伝承がある。武功書には「兼元の刃が三本杉の通り真っ直ぐに飛び込んで直隆の首を取った」との記述があるとも伝わる。 また、孫六兼元が青木兼元を鍛え上げた夜、工房の砥石に三本の杉の木の影が映り込んだという伝承がある。兼元はこれを神の意志として三本杉を刃文に取り込んだとされ、以後の三本杉の刃文がこの神示に由来するという説話が関の刀工の家に伝わっている。 さらに、丹羽家の蔵に収められていた時代、ある夜に蔵の中から独りでに刃が鳴る音がしたという話がある。翌朝確認すると刀身に異常はなく、その夜から数日後に主人の危機を知らせる急報が届いたという。「青木兼元は主人の危難を先取りして鳴動する」という言い伝えが丹羽家の家伝として受け継がれたとされる。