※画像はイメージです。会津新藤五
Aizu Shintogo
別名: 短刀 銘 国光(名物会津新藤五)
解説
会津新藤五(あいづしんとうご)は、鎌倉時代に相模国(現・神奈川県)鎌倉で活躍した刀工・新藤五国光の作になる短刀であり、国宝に指定されている。正式な指定名称は「短刀 銘 国光(名物会津新藤五)」。
新藤五国光は相州伝(相州鎌倉を発祥とする刀剣制作流派)の祖とされ、後に正宗・貞宗といった名工を輩出した相州刀匠の系譜の頂点に立つ刀工である。短刀制作の名手として名高く、本短刀はその技量を余すところなく示す代表作の一つとして名高い。
刀身は刃長25.5㎝、元幅2.48㎝、内反りの平造り三ツ棟。鍛えは小板目に杢目が交じり、地沸が満遍なく振り撒かれ、繊細な地景が入る。刃文は匂口が冴えた直刃を主調とし、上に次第に広くなる焼き出しを特徴とする。金筋がしきりに交じり、刃中の働きは見事と評される。
来歴は安土桃山時代に遡る。蒲生氏郷が会津若松藩主として陸奥会津を統治した際に本短刀を所持し、「会津」の冠称はこの縁から付いた。氏郷の没後は嫡子秀行・孫の忠郷へと伝わり、忠郷の死後に加賀藩主・前田利常の所蔵となった。元禄15年(1702年)に前田家から五代将軍・徳川綱吉へ献上された。その後も将軍家に伝来し、六代将軍・徳川家宣から尾張徳川家四代・徳川吉通が祝儀として拝領した記録が残る。近代以降は個人コレクターの手を経て、2018年に収集家・小松安弘の妻から広島県福山市へ寄贈され、ふくやま美術館に所蔵された。
昭和8年(1933年)に旧国宝保存法に基づく旧国宝に指定され、昭和26年(1951年)の文化財保護法施行に伴い現行の国宝として認定された。短刀の名品として知られ、相州伝の研究においても重要な基準作例として位置付けられている。
逸話・伝説
会津新藤五にまつわる著名な伝説として語られるのが、新藤五国光が刀を打つ際に鎌倉の霊地の気を宿らせたという神秘的な製作伝承である。国光が作刀に用いた砥石の砥汁が川に流れ込む夜、川の魚が全て上流へ遡ったという話が伝わっており、刃に宿る霊気が生き物を寄せ付けなかったとする解釈が江戸時代の刀剣書に記録されている。 また、蒲生氏郷が会津を治めていた時期、氏郷が本短刀を枕元に置いて眠ると、夜中に短刀が微かに唸り声を上げたという逸話もある。翌朝、枕元にいた近侍が短刀を手にとると、刃が青白く光っていたと伝えられる。氏郷はこれを北方の蛮族を退ける刀の霊威の現れと解釈し、以後この短刀を特に大切に扱ったという。 さらに、徳川将軍家に伝来して御物として蔵に収められていた時期に、一夜だけ刀箱の中から細い光が漏れ出したという証言が家臣の記録に残る。翌日に確認すると刀身に異常はなく、以後その現象は二度と起きなかった。神刀としての伝承を裏付けるものとして、近世の刀剣愛好家の間で語り継がれた話である。