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昭和4年(1929年)
日本(東京・文部省・大蔵省所管)
勢力
国(文部省・大蔵省)
所有者(社寺・旧家・個人)
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国宝保存法(昭和4年法律第17号)は、1929年3月12日に成立し、3月28日に公布、7月1日に施行された。条文は25条で、関係省庁は大蔵省と文部省であった。施行令(昭和4年勅令第210号)と国宝保存会官制(同勅令第211号)も同時期に定められている。この法律の最大の特徴は、前身の古社寺保存法が持っていた「古社寺の所有物」という要件を外し、国有・公有・私有を問わず国宝に指定できるようにした点にある。
1897年の古社寺保存法は、社寺が所有する建造物と宝物を対象としていた。そのため、城郭や旧大名家が所蔵する宝物を十分に保護できないことが廃止の理由として挙げられている。名刀は、社寺に奉納されたものだけでなく、江戸時代を通じて大名家や旗本家が家宝として伝え、徳川将軍家との間で献上や拝領を繰り返したものも多い。そうした刀剣の多くは、明治以後も旧藩主家などの私有財産として蔵に収められていた。法の対象が社寺に限られている限り、その保護は所有者の判断に委ねられるほかなかった。
国宝保存法では、古社寺保存法の「特別保護建造物」も「国宝」と称することになり、国宝の概念が一本化された。古社寺保存法で既に国宝や特別保護建造物とされていた物件は、新法の「国宝」へ移行した。所有者の属性を問わない制度となったことで、私有の物件も国宝に指定できるようになった。調査した資料に記載のない細目、たとえば輸出規制の個別条文や指定件数の内訳は、本稿では取り扱わない。
この法律の下で、刀剣は個人や旧家の所蔵品であっても国宝として指定され得る立場に置かれた。具体的な事例として、太刀「豊後国行平作」、通称「古今伝授行平」は、1934年(昭和9年)に国宝に指定されたと刀剣の格付けを解説する資料に記されている。1934年は国宝保存法の施行下にあたり、同刀はその後、1951年(昭和26年)6月9日に文化財保護法に基づく新国宝に指定された。したがって同刀は1934年以降、一貫して国宝であったことになる。
なお、この太刀について指定の際の所有者や手続の詳細までは、今回の調査では確認できていない。ここでは、国宝保存法の下で国宝指定を受けた刀剣の一例として、指定年のみを述べるにとどめる。
1950年の時点で、古社寺保存法と国宝保存法によって国宝とされていた物件は、宝物類(美術工芸品)が5,824件、建造物が1,059件に及んだとされる。1897年に始まった指定が、半世紀あまりのうちにこれだけの数に積み上がったことになる。この中には刀剣も含まれており、現行の新国宝でも、工芸品の国宝のうち刀剣類がほぼ半数を占めると解説されている。刀剣は太刀や短刀の刀身だけが指定される場合と、外装を含めて指定される場合があり、国の文化財のなかで刀剣が占める比重の大きさは、戦前から続く指定の積み重ねの上にある。
刀剣の解説で「1934年に国宝指定」といった記述を見たとき、それが国宝保存法の下での指定であることを意識すると、刀剣の来歴が立体的に見えてくる。戦前の国宝指定は、現行の新国宝とは別の制度の下で行われたものであり、1950年の文化財保護法の施行時にいったん重要文化財とみなされ、その後に改めて国宝へ指定される手順を経た。古今伝授行平の場合は、1934年の指定から1951年6月9日の新国宝指定までの間、一貫して国宝であったと整理される。指定年を見れば、その刀剣がどの制度の下で評価されたかが分かり、評価の歴史を遡る手がかりとなる。
国宝保存法の下では、指定の基準が高く、対象も限られていた。その一方で、美術品の海外流出は止まらなかった。絵巻物の代表作「吉備大臣入唐絵巻」は、1923年(大正12年)に酒井家の遺産分与のため東京美術倶楽部の売立に出され、大阪の古美術商が18万8900円で落札した。のちに1932年(昭和7年)にボストン美術館東洋部長の富田幸次郎が購入し、同館の所蔵となった。この海外流出に国民の怒りが強まり、国宝級の美術品の流出を防げなかった法整備の不備が問題として意識されたと解説されている。国宝に指定された物件は国外持ち出しが禁じられていたが、未指定の文化財にはその根拠がなかった。
ここで注目したいのは、流出のきっかけが旧大名家の遺産分与に伴う売立であった点である。旧家の蔵にあった古美術が、家の事情によって市場に出る。そのとき、指定を受けていない物件を守る法的な手段はなかった。これは絵巻に限らず、同じ旧家の蔵にあった刀剣にも当てはまる構図である。ただし、売立で刀剣が実際にどれほど国外へ出たかを示す典拠は、今回の調査では確認できていない。この空白を埋めるため、1933年に「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が制定される。国宝保存法と重要美術品の制度は、こうして二本立ての構造をなした。
国宝保存法は、1950年(昭和25年)8月29日に文化財保護法が施行されたことで廃止された。旧法の「国宝」は、新法の規定によって重要文化財に指定されたものとみなされ、その中から特にすぐれたものが改めて新法上の国宝となった。このため、戦前に指定された国宝を「旧国宝」、新法の国宝を「新国宝」と呼んで区別することがある。旧国宝が重要文化財とされたことは格下げではなく、制度の切り替えに伴う措置として説明されている。
切り替えの直接のきっかけは、1949年1月26日に奈良県斑鳩町の法隆寺金堂で起きた火災で、金堂壁画が焼損した出来事であった。これを機に、文化財保護の総合的な法律として議員立法により文化財保護法が制定され、1950年5月30日に公布、8月29日に施行された。施行に合わせて、史蹟名勝天然紀念物保存法(1919年)、国宝保存法(1929年)、重要美術品等ノ保存ニ関スル法律(1933年)が廃止され、分かれていた制度が一つの法律に統合された。
刀剣の歴史にとってこの法律は、名刀の保護が社寺の宝物にとどまらず、旧家や個人の所蔵品にまで制度として及んだ転換点であった。戦後の混乱期の中で、1950年の新法が旧法の「国宝」を引き継ぐ形をとれたのは、昭和初期にこの指定の積み重ねがあったからである。国宝保存法がつくった枠組みは、現在の国宝・重要文化財という二段階の指定制度の直接の土台になっている。
- 1871年(明治4年):古器旧物保存方が出される。 - 1872年(明治5年):壬申検査が行われる。 - 1897年(明治30年):古社寺保存法が公布され、12月28日に最初の指定が行われる。 - 1923年(大正12年):吉備大臣入唐絵巻が売立に出される。 - 1929年(昭和4年):国宝保存法が公布され、7月1日に施行される。 - 1932年(昭和7年):吉備大臣入唐絵巻がボストン美術館に購入される。 - 1933年(昭和8年):重要美術品等ノ保存ニ関スル法律が施行され、7月25日に最初の504件が認定される。 - 1934年(昭和9年):古今伝授行平が国宝に指定される。 - 1949年(昭和24年):法隆寺金堂の火災(1月26日)。重要美術品の認定が終わる。 - 1950年(昭和25年):文化財保護法が公布(5月30日)、施行(8月29日)される。 - 1951年(昭和26年):6月9日に新国宝の最初の指定が行われる。