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昭和8年(1933年)4月1日
日本(東京・文部省所管)
勢力
国(文部大臣による認定)
所有者・古美術市場
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1933年(昭和8年)4月1日、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」が公布・施行された。施行規則は同日の文部省令第10号である。認定された物件は官報で告示され、「重要美術品」、略して「重美」と呼ばれた。「指定」ではなく一貫して「認定」の語が使われている。対象は絵画、彫刻、建造物、文書、典籍、書跡、刀剣、工芸品、考古学資料などおおむね9分野に及んだ。刀剣は、この制度が名指しで分野に掲げた美術工芸品の一つである。
国宝に指定された物件は国外への持ち出しが禁じられていたが、未指定の文化財にはその根拠がなかった。絵巻物の代表作「吉備大臣入唐絵巻」は、1923年(大正12年)に酒井家の遺産分与のため東京美術倶楽部の売立に出され、大阪の古美術商が18万8900円で落札した。古美術商は関東大震災後の不景気で買い手が見つからず、古美術を海外に広く売っていた山中商会に斡旋を依頼し、1932年(昭和7年)にボストン美術館東洋部長の富田幸次郎が来日して購入した。この流出に国民の怒りが強まり、富田は「国賊」と呼ばれたが、本人は正規の商取引を行っただけだとして憤慨したという。問題の本質は、国宝級の美術品の海外流出を防げなかった法整備の不備にあるとされ、その翌年、1933年4月1日に本法が公布・施行された。そこで、特に重要な価値のある物件を海外へ輸出する場合に文部大臣の許可を要するという仕組みが作られた。
文化庁の整理によれば、認定の標準は「国宝の資格をもちながら、まだ国宝になっていない」いわゆる準国宝であった。ただし実際には、輸出のおそれのないものや価値が定まっていないものも認定されたとされる。海外流出防止を第一に、迅速に作業が進められた緊急措置であったためと説明されている。
最初の認定は1933年7月25日で、504件が告示された。その後も認定は続き、終戦直前の1945年8月4日には200件以上が、最後の告示となった1949年5月28日にも200件以上が認定された。認定は昭和24年まで実施された。
総数は資料によって異なる。文化庁は美術工芸品7,898件、建造物299件、合計8,197件としている。一方、美術工芸品を7,983件などとする資料や、2016年刊行の『「重要美術品」認定作品総覧』が8,326件とするという注記もあり、正確な件数は定まっていない。刀剣については、他の分野と区別した具体的な件数を、今回の調査では確認できていない。
刀剣は、浮世絵、古筆、宸翰などと並び、認定が特に多い分野の一つとされる。認定が特定の分野に偏ったのは、海外流出の防止を第一にして作業を迅速に進めたためだと説明されている。刀剣は、小さく持ち運びが容易で、かつ海外の収集家の関心を集めやすい性質を持つ。そのため流出が懸念された分野の一つであったと考えられるが、この点は制度の趣旨からの推察であり、史料で確認した事実ではない。
刀剣に関する後年の資料として、1985年から1986年にかけて刊行された『日本刀重要美術品全集』全8巻が知られている。ただし、写真やデータが現存せず、図版や解説を掲載できなかった物件も相当数あると指摘されている。このことは、認定を急いだ制度の性格を物語っている。認定名簿に名が載りながら、現在その刀剣がどこにあるのか分からないものが一定数あるという事実は、刀剣の来歴を追う上での難しさでもある。
同じ年代の国宝保存法は、旧国宝として5,824件の美術工芸品と1,059件の建造物を、1950年までに国宝としてきた。これに対して重要美術品は、国宝の水準に達しながら指定されていない物件を、流出から守るために網をかける制度であった。国宝が「厳選して指定し、保存費の面でも国が関与する」制度だとすれば、重要美術品は「広く認定し、まず輸出だけを止める」制度である。二つの制度は、同じ美術工芸品を相補的に扱っていた。刀剣の所有者にとっては、国宝に指定されるのは一握りの名刀に限られる一方、重要美術品の認定は、より多くの刀剣に及ぶ公的な評価として受け止められたと考えられる。ただしこの受け止め方は制度の構造からの推察であり、当時の所有者の意識を直接示す史料を確認したものではない。
刀剣の解説や売立目録、取引の場で「重要美術品」あるいは「重美」の語に出会うことがある。この語は、1933年から1949年までの間に文部大臣が認定し、官報で告示された物件であることを意味する。国宝や重要文化財のように、現在の指定制度の中で積極的に保存管理される物件ではなく、あくまで戦前の認定が附則によって効力を保っているものである。認定の取り消しは、重要文化財への格上げと海外輸出の許可の二つの場合に限られる。つまり、刀剣に「重美」の語が付いている場合、その刀剣は現在も海外輸出に許可が必要な物件か、あるいは格上げや輸出許可によって認定が消えた物件かのいずれかになる。その識別には、現在の認定状況の確認が欠かせない。
この制度の位置づけを整理しておく。1933年当時、国宝の指定を受けた物件は国外持ち出しが禁じられ、それ以外の物件は自由に売買できた。重要美術品の認定は、その中間に網をかけるものであった。指定のような厳格な審査や所有者への補助を伴わない代わりに、輸出だけを許可制にするという軽い規制である。認定を受けても国内での売買は妨げられず、所有者の権利は大きく損なわれない。この軽さが、短期間に多数の物件を認定することを可能にした一方で、価値の定まらない物件が混じる原因にもなった。
1950年(昭和25年)8月29日に文化財保護法が施行されると、この法律は廃止された。ただし附則により、認定済みの物件については同法が当分の間なおその効力を有するとされた。認定が取り消されるのは、重要文化財に格上げ指定された場合と、海外輸出が許可された場合の二つに限られる。1950年から2008年までに輸出許可で取り消されたものは25件とされ、2008年時点で効力を持つ物件は6千数百件と推定されている。
今日、刀剣の世界で「重美」の付いた刀剣が語られるのは、この制度の名残である。国宝や重要文化財とは別に、戦前の認定が現在も効力を持ちうる。この制度は、国宝保存法の下の国宝と並んで、昭和戦前の日本が刀剣を含む古美術を国の管理下に置こうとした二本目の柱であった。流出を防ぐという目的は、刀剣の私的な売買の自由と文化財としての保存を、どのように両立させるかという課題を、今日にまで残している。
- 1871年(明治4年):古器旧物保存方が出される。 - 1872年(明治5年):壬申検査が行われる。 - 1897年(明治30年):古社寺保存法が公布され、12月28日に最初の指定が行われる。 - 1923年(大正12年):吉備大臣入唐絵巻が売立に出される。 - 1929年(昭和4年):国宝保存法が公布され、7月1日に施行される。 - 1932年(昭和7年):吉備大臣入唐絵巻がボストン美術館に購入される。 - 1933年(昭和8年):重要美術品等ノ保存ニ関スル法律が施行され、7月25日に最初の504件が認定される。 - 1934年(昭和9年):古今伝授行平が国宝に指定される。 - 1949年(昭和24年):法隆寺金堂の火災(1月26日)。重要美術品の認定が終わる。 - 1950年(昭和25年):文化財保護法が公布(5月30日)、施行(8月29日)される。 - 1951年(昭和26年):6月9日に新国宝の最初の指定が行われる。