
新着情報 — 最新の入荷情報はカタログをご確認ください。 商品を見る →
慶応4年1月〜明治2年5月(1868年1月〜1869年6月)
京都・東北・越後・蝦夷地を中心とした全国規模の内戦
勢力
新政府軍(官軍)
旧幕府軍・奥羽越列藩同盟
約4分で読めます
慶応4年(1868年)1月、鳥羽・伏見の戦いによって幕を開けた戊辰戦争は、明治2年(1869年)5月の箱館・五稜郭開城まで、約一年半にわたって続いた近代日本最大の内戦である。倒幕・維新を推進する薩摩・長州・土佐・肥前藩を中核とする新政府軍と、旧幕府軍・奥羽越列藩同盟が激突したこの戦争は、日本の政治体制を根底から覆しただけでなく、日本刀の歴史においても決定的な転換点となった。廃刀令(明治9年・1876年)が発布される約8年前、戊辰戦争は武士が刀を帯びて戦った最後の本格的な内戦であった。
慶応3年(1867年)10月、第15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、形式上は政権を朝廷に返上した。しかし薩長両藩は「王政復古の大号令」によって新政府の主導権を握り、旧幕府軍との対決を不可避なものとした。慶応4年1月3日から6日にかけて勃発した鳥羽・伏見の戦い(現・京都府京都市伏見区ほか)では、薩摩・長州を中核とする新政府軍が旧幕府の主力部隊を撃破した。この戦いにおいて新政府軍は近代的な小銃・大砲を活用し、旧幕府軍の多くが依然として刀・槍中心の装備であったことが敗因のひとつとなった。
徳川慶喜は大坂城から江戸へ逃れ、新政府軍は「官軍」として東征を開始した。その後の江戸無血開城(1868年4月)は、勝海舟と西郷隆盛の会談によって実現した歴史的な和解であった。
江戸開城後、戦いの舞台は東北へ移った。東北諸藩は当初、新旧両政府間の調停を試みたが、新政府軍の強硬な姿勢に対抗するため、奥羽越列藩同盟(仙台藩・米沢藩・長岡藩・会津藩など25藩以上)を結成して抵抗した。
長岡藩家老・河井継之助は、ガトリング砲を独自に調達し、近代的な兵器で武装した強力な長岡藩兵を率いて新政府軍に対抗した。継之助は刀剣にも深い造詣を持ち、名刀を愛でる文人武将の側面もあった。北越戊辰戦争では、河井継之助率いる長岡藩が新政府軍に大きな損害を与えたが、最終的に長岡城は落城し、継之助は傷を負って退却の途中に没した。
会津藩においては、藩主・松平容保のもと、藩士たちが最後まで新政府軍に抵抗した。会津若松城(鶴ヶ城)の籠城戦は特に悲烈を極め、白虎隊の少年たちが自刃した逸話は後世に語り継がれている。会津藩士たちが帯びていた刀剣——会津兼定をはじめとする実用刀——は、この籠城戦において最後の実戦的役割を果たした。
戊辰戦争において、日本刀と最も深く結びついた組織が新選組である。幕末の京都治安維持のために結成された新選組は、幕府の瓦解とともに北上し、東北・函館まで戦い続けた。副長・土方歳三は最後まで刀を帯びて戦った武士のひとりであり、明治2年(1869年)5月11日の箱館・一本木関門での戦闘で銃弾を受けて戦死した。
土方歳三の愛刀として有名なのが、和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)である。兼定は美濃伝の刀工で、会津藩とも深い縁を持つ刀工集団が製作した。土方が帯刀した兼定は、新選組の活躍した幕末から戊辰戦争にかけての刀剣使用の象徴的存在として、今日も多くの日本刀愛好家に親しまれている。
長曽祢虎徹(ながそねこてつ)は新選組局長・近藤勇の愛刀として名高い。虎徹は江戸新刀を代表する名工・長曽祢興里(虎徹)の作で、「虎徹の切れ味」は幕末武士の間で伝説的だった。戊辰戦争において新選組の隊士たちが帯びた刀は、近代戦争の銃弾の前に限界を露呈しながらも、武士としての矜持を最後まで体現した。
戊辰戦争の最終局面となった箱館戦争(明治元年・1868年〜明治2年・1869年)において、旧幕府海軍の榎本武揚と土方歳三らは北海道・箱館(現・函館市)の五稜郭を拠点として新政府軍と戦った。五稜郭は西洋式の稜堡型城郭であり、近代戦に対応した防御施設だったが、最終的に新政府軍の海陸両面からの攻撃に屈した。
土方歳三は箱館・一本木関門での戦闘において、馬上で指揮中に銃弾を受けて戦死した。「最後まで刀を手放さなかった武士」として、土方の最期は戊辰戦争を象徴する場面となっている。榎本武揚は降伏し、その後明治政府に出仕して外交・教育分野で活躍した。
戊辰戦争が日本刀の歴史において占める位置は、二重の意味で重要である。
第一に、これが刀が実戦に用いられた最後の大規模な内戦であった点だ。戊辰戦争では銃が主力になっていたが、白兵戦においては依然として刀・槍が使われた。特に市街戦や夜間の斬り込みにおいては、熟練した剣士が携える刀は銃に劣らない有効性を発揮した。
第二に、戊辰戦争の終結と明治維新の確立が、廃刀令(明治9年・1876年)への直接的な道を開いた点だ。「武士が刀を帯びる権利」は維新後も一時維持されたが、明治政府は近代的な国民軍の建設にあたって、武士階級の身分的特権を解体する必要があった。廃刀令の発布は、戊辰戦争から約8年後のことである。
戊辰戦争に参加した多くの武士・藩士たちの刀は、戦後に売却・廃棄され、あるいは家宝として保存された。維新後の「廃刀」の波の中で散逸した名刀は無数にあるが、逆に戊辰戦争の記憶とともに大切に伝えられた刀も少なくない。日本刀が「武器」から「文化財・芸術品」へと転換する歴史的分岐点に、戊辰戦争は位置している。
明治維新の端緒となった戊辰戦争では、旧幕府軍・諸藩の武士たちが刀を手に近代銃砲と戦った。新選組の刀、会津藩士の最後の戦い、そして戦後の廃刀へと続く流れまで、刀剣史の観点から戊辰戦争を読み解く。
2026-04-28
幕末最後の激動期である文久・元治・慶応年間(1861〜1868年)に、尊王攘夷運動と刀剣文化がいかに結びつき、志士・浪士・武家の帯刀習慣と刀匠の動向を決定づけたかを探る。
2026-06-01
1876年(明治9年)の廃刀令(帯刀禁止令)が日本刀産業に与えた壊滅的打撃と、その後の刀剣界の変容を詳解。職を失った刀工たちの転業、美術品としての生き残り戦略、月山・月山、水心子系の継承を解説する。
2026-04-26
なぜ薙刀は武家女性の武器として定着したのか。戦国期の実戦使用から江戸期の武家作法、明治以降の女学校体育、現代の薙刀道まで、日本女性と薙刀の深い関係を歴史的に解説する。
2026-04-25