※画像はイメージです。1801-1804江戸時代後期・刀剣学問と相法の興隆
享和(きょうわ)
Kyowa Era
享和(きょうわ)は江戸時代後期の元号で、寛政の後、文化の前にあたる(1801〜1804年)。刀剣史では、新刀から新々刀への転換が準備された時期にあたる。新々刀の開祖とされる水心子正秀は、この頃までは津田助広や井上真改ら大坂新刀を理想とする作風を示しており、のちに古刀への回帰を説く「刀剣復古論」を唱えるに至った。門下からは大慶直胤・細川正義が出て、幕末に至る新々刀期の主流を形成した。
解説
享和期の位置づけ
享和(1801〜1804年)は、寛政の後、文化の前にあたる江戸時代後期の短い元号である。刀剣史においては単独で語られることは少なく、新刀期の作風から新々刀期への転換が準備されつつあった時期として位置づけられる。
水心子正秀の作刀期
新々刀の開祖とされる水心子正秀(1750〜1825年)は、安永から文政に至るおよそ50年にわたって作刀した。天明・寛政・享和の頃にあたる初期には、津田助広や井上真改といった大坂新刀を理想とし、濤瀾乱(とうらんみだれ)や直刃調の刃を焼いている。享和期の正秀は、まだこの大坂新刀志向の段階にあった。
古伝研究から復古論へ
正秀はその後、大和伝・相州伝・美濃伝と各伝の作風を研究し、晩年には古刀への回帰を説く「刀剣復古論」を唱えて備前伝にも取り組んだ。享和期は、この古伝研究が本格化していく過程の途上にあたる。
門流の形成
正秀の門下からは、大慶直胤や細川正義といった刀工が出た。これらの門人が幕末に至る新々刀期の主流を形成しており、享和前後の水心子一門の活動は、以後の刀剣史を方向づけるものとなった。
この時代の刀の特徴
- 享和(1801〜1804年)は寛政と文化の間に位置する江戸後期の短い元号
- 新々刀の開祖とされる水心子正秀の作刀期(安永〜文政)の中盤にあたる
- 享和頃の水心子正秀は津田助広・井上真改ら大坂新刀を理想とする作風を示した
- 濤瀾乱や直刃調の刃文が、この段階の水心子正秀の作風の特徴
- 晩年の「刀剣復古論」へ至る、大和伝・相州伝・美濃伝の研究が進む過程の途上
- 門下に大慶直胤・細川正義を輩出し、幕末に至る新々刀期の主流を形成