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※画像はイメージです。槍は長柄の先端に穂(ほ)と呼ばれる刃部を装着した日本の刺突武器である。鎌倉末期〜南北朝期(14世紀)に本格的に普及し、戦国時代(16世紀)には歩兵部隊(足軽)の主力武器として合戦の趨勢を左右した。現代では美術刀剣として鑑賞されるほか、居合・武道の一分野として「槍術」が継承されている。
槍の分類は穂の断面形状・側枝の有無が基本となる。
最も基本的な形式で、穂の断面が三角形の槍。
穂が笹の葉に似た菱形断面の槍。
穂の片側に「鎌(かま)」と呼ばれる横枝を持つ槍。
穂の両側に均等な横枝を持つ槍で、側面から見ると「十」の字形。
南北朝時代の菊池氏(肥後国)が使用したとされる直刀形の長柄武器。
日本の槍の中で特に名高い三本を「天下三名槍(てんかさんめいそう)」と呼ぶ。
蜻蛉切(とんぼきり): 徳川四天王の一人・本多忠勝の愛槍。刃長は1尺4寸(約43.7cm)、柄長は1丈3寸(約312cm)の笹穂槍で、藤原正真の作と伝わる。刀身の樋(ひ)に梵字と三鈷剣が彫られており、穂先に止まった蜻蛉が真っ二つになったという伝承からその名がついた。現在は静岡県三島市の佐野美術館に寄託・収蔵されており、同館での特別展で公開されることがある。
日本号(にほんごう): 福岡藩の黒田氏に伝わった名槍。刃長2尺6寸1分5厘(約79.2cm)・全長(柄含む)10尺6分(約321.5cm)・重量2.8kgという大身槍で、現在は福岡市博物館に常設展示されている。家臣の母里太兵衛友信が福島正則との酒飲み勝負に勝ち、これを手に入れたという逸話(「黒田節」の唄に歌われる)でも名高い。
御手杵(おてぎね): 結城氏から結城秀康へと伝わった大身槍。惜しくも1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により、東京大久保の松平邸所蔵庫が焼夷弾直撃を受けて焼失し、天下三名槍の中で唯一現存しない。現在は復元品が制作・公開されている。
| 時代 | 主要形式 | 特徴 |
|---|---|---|
| 南北朝期 | 笹穂槍・菊池槍 | 歩兵主体の密集戦で普及 |
| 戦国期 | 十文字槍・片鎌槍 | 実戦的複合攻撃形式の発展 |
| 江戸期 | 儀礼槍 | 装飾性重視、実戦用途の衰退 |
美術刀剣として鑑定の対象となる槍は、NBTHK(日本美術刀剣保存協会)の審査対象である。槍穂の鑑定では地鉄・刃文・造込みに加えて、横枝の形式と製作精度が評価の核心となる。著名刀工による製作槍は高額での落札事例があり、戦国武将の所有伝承を持つ槍は文化財的価値も付加される。
槍術(そうじゅつ)は槍を用いた武芸であり、宝蔵院流(ほうぞういんりゅう)・風傅流(ふうでんりゅう)・貫流(つらぬきりゅう)など多くの流派が戦国〜江戸時代に成立した。宝蔵院流は奈良の興福寺塔頭・宝蔵院で発達した流派で、特に十文字槍を得意とすることで名高い。江戸時代には実戦の機会が失われたものの、各流派は型稽古(かたげいこ)の形で槍術を保存・継承し、現代に至る。
刀剣と同様、槍穂にも刀工の銘(めい)が切られる場合がある。茎(なかご)部分に刀工名・製作年・所有者名などが刻まれた例があり、伝来の確かな銘入り槍穂はNBTHKの鑑定対象となる。特に著名武将の所有伝承を持ち、かつ銘が確認できる槍穂は文化財としての評価が高く、蜻蛉切のような天下三名槍クラスの槍はその最高峰に位置する。オンライン刀剣市場においても槍穂の出品数は刀剣類全体に比べて少なく、状態の良い実戦型槍穂は希少価値を持つ。