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※画像はイメージです。慶応2年1月23日(1866年3月9日)深夜、京都伏見の旅籠寺田屋で、坂本龍馬が伏見奉行所配下の捕り方に襲撃される事件が起きた。世にいう寺田屋事件、あるいは寺田屋遭難である。龍馬は拳銃で応戦してかろうじて脱出したが、この一夜の記録は、幕末の志士が実際にどのような武器を携え、いかに戦ったかを具体的に伝える貴重な手がかりとして残っている。
寺田屋の名を冠する事件は幕末に二度起きており、混同されやすい。文久2年(1862年)の寺田屋には、薩摩藩の急進派藩士が同藩の同志によって鎮撫、実質的には粛清された事件があり、こちらは寺田屋騒動と呼ばれて区別されることが多い。今回取り上げる慶応2年の事件は、坂本龍馬が標的となった別の襲撃である。
事件が起きたのは、龍馬が仲介役として奔走した薩長同盟が京都の薩摩藩邸で成立した、まさに2日後のことだった。龍馬は伏見の寺田屋に宿をとっていた。同宿していたのは長州藩支藩である長府藩の藩士三吉慎蔵で、槍術に長じた人物として知られる。宿の女将お登勢のもとで働いていたお龍、のちの龍馬の妻が身の回りの世話をしていた。以前から龍馬の動向を探っていた伏見奉行所は、深夜になって数十名規模とされる捕り方の一隊を寺田屋に差し向け、川沿いに建つ宿を密かに包囲した。
異変にいち早く気づいたのはお龍だったと伝わる。入浴中に階下の物音を聞きつけ、裸のまま二階へ駆け上がって龍馬と三吉に危急を知らせたという逸話は広く知られている。踏み込んできた捕り方に対し、龍馬が手にしたのは刀ではなく、入手していたスミス&ウェッソン製の拳銃だった。至近距離での応戦で両手の指に深手を負いながらも、龍馬は発砲を続けて活路を開いた。同時に三吉は槍をとって奮戦し、龍馬をかばいながら脱出の時間を稼いだ。この夜の防戦の要は、次の二点に集約される。
龍馬の愛刀としては陸奥守吉行の作と伝わる刀が知られ、土佐藩ゆかりの刀工の作として現在は京都国立博物館に所蔵されている。しかし寺田屋の一夜において主たる防戦の武器となったのは拳銃と槍であり、刀は決定的な役割を果たしていない。龍馬が携えていたスミス&ウェッソン製拳銃は、長州藩士の高杉晋作から贈られたものと伝えられており、開国以降に西日本の志士の間で流通していた輸入拳銃の実例としても知られる。武士の魂とされてきた刀が、この場面では新式の連発拳銃に主役を譲っていた事実は、幕末という過渡期の武装のあり方を端的に示している。深手を負った龍馬は捕り方の追跡をかわして伏見の材木小屋に身を潜め、のちに近くの薩摩藩伏見屋敷に保護を求めて辛くも難を逃れた。
幕末の志士の多くは脱藩浪士という不安定な身分にあり、本来の武家法度に照らせば正式な帯刀資格を欠く者も少なくなかった。それでも打刀・脇差を腰に帯びるのは志士としての通例であり、二尺三寸前後の定寸に近く、機動性を重んじた細身の姿が好まれる傾向にあったとされる。長距離の徒歩移動や乱闘を想定した携行のしやすさが優先され、装飾性より実用性が重視された点も、この時期の刀剣の特徴として指摘できる。一方で、開港以降に横浜・長崎などを経由して流入した西洋式拳銃は、京坂で活動する志士の間で急速に浸透しつつあった時期でもあった。寺田屋事件はその実例であり、伝統武具である刀剣と輸入拳銃という新式武器が同じ現場に併存していた、幕末刀剣史の転換期を象徴する一場面と位置づけられる。捕り方の側も十手や刺股に加え、抜刀による制圧を試みたと伝えられており、旧来の捕物道具と刀が入り交じる現場だった点も見逃せない。
九死に一生を得た龍馬は、その後、西郷隆盛の勧めで妻となったお龍とともに鹿児島の霧島山中へ湯治に赴いたと伝えられ、この旅は日本で最初の新婚旅行として語られることがある。寺田屋事件は、龍馬と薩摩藩との結びつきを一段と強め、やがて大政奉還へ向かう政局の中で龍馬の存在感を高める一因となった。龍馬を保護した薩摩藩伏見屋敷の対応の背景には、藩士西郷隆盛の意向があったとされ、龍馬はその後、薩摩藩の蒸気船で大坂を経て鹿児島へ送られている。現存する寺田屋の建物は鳥羽・伏見の戦いで焼失した後に再建されたものとされ、今も伏見の史跡として多くの人が訪れている。
皮肉なことに、龍馬は拳銃によって命を拾ったこの事件から約1年10か月後、慶応3年11月15日(1867年12月10日)に京都近江屋で刺客に襲われ、刀による斬撃で落命することになる。寺田屋では拳銃が刀に代わって龍馬を守り、近江屋では刀が龍馬の命を奪った。この対照は、刀剣から近代兵器へと武装の重心が移り変わっていく幕末という時代の中で、それでもなお刀が最後まで人の生死を左右する武器であり続けたことを物語っている。刀剣の視点から見れば、寺田屋事件は武士の象徴であった刀が実戦の主役から退き、拳銃や槍が生死を分ける場面を演じた、幕末という時代の武装の変わり目を伝える事例として記憶されている。
日本刀×日本文化体験
観光スポットと刀剣文化をつなぐ多言語展開。