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※画像はイメージです。江戸時代の町奉行所や辻番所には、刺又・突棒・袖搦という三種の長柄の捕物道具が常備されていた。これらは「三ツ道具」と総称され、罪人や乱暴者を捕らえる際に用いられた。刀を帯びた相手であっても、できる限り殺傷せずに取り押さえることを目的とした点に大きな特徴がある。江戸幕府の統治下では、たとえ罪人であっても無闇に斬り捨てることは望ましくなく、まず生け捕りにして取り調べたうえで裁きの場に引き出すことが基本とされた。そのための道具として発達したのが、この三ツ道具である。
いずれも長い柄の先に金属製の頭部を取り付けた構造で、素手や短い得物では対抗しづらい間合いを保ちながら、相手を制圧できるよう設計されている。町奉行所や大名屋敷の門番所には、これら三ツ道具が一式そろえて掛けられ、いざというときにすぐ持ち出せる体制が取られていた。捕物道具は目立つ場所に常備されること自体にも意味があり、罪人や乱暴者に対して「抵抗しても無事では済まない」ことを日常的に示す抑止の役割も担っていたと考えられている。
刺又は三ツ道具の中でも特に知られた道具で、棒の先端がU字あるいはV字に開き、内側に棘を植えた金具が付く。この開いた部分を相手の首筋や腕、あるいは着衣に押し当てて挟み込み、壁や地面に押さえつけて動きを封じる。刃物を持たず、相手の身体そのものを金具で拘束する構造であるため、深手を負わせずに動きを止めやすいという利点があった。複数人で同時に刺又を使うことで、一人では抑えきれない相手でも取り押さえることができた。現代でも学校や交番、公共施設に防犯用具として設置されているのは、殺傷を伴わずに不審者の動きを制止できるというこの構造上の利点が今なお評価されているためである。名称も形状も江戸期からほぼ変わらず伝わっている点は、道具としての完成度の高さを物語っている。
突棒は棒の先端に棘状の突起を並べた道具で、相手を突き飛ばして間合いを取ったり、動きを牽制したりする役割を持つ。相手が刀を構えていても、間合いの外から棒の長さを活かして接近を防げる点が実戦上の利点だった。切っ先ではなく多数の棘で押し留める構造のため、こちらも深い傷を与えにくい。
一方の袖搦は、棘のついた鉤状の金具を並べた頭部を持ち、相手の袖口や帯、髪などに引っ掛けて絡め取る道具である。刺又が「押さえ込む」道具、突棒が「突き放す」道具だとすれば、袖搦は「引っ掛けて自由を奪う」道具といえる。三者はそれぞれ役割が異なり、複数人で連携して使うことで、刀剣を持つ相手にも組織的に対応できる体制を作っていた。実際の捕物では、まず突棒で間合いを取って接近を防ぎ、隙を見て刺又で押さえ込み、袖搦で最終的に自由を奪うというように、三つの道具を段階的に組み合わせて用いたと考えられている。
同心や岡引が携行した十手は、鉤の付いた短い鉄棒で、相手の刀を受け止めたり、逆に相手を打ち据えたりする護身・捕縛の道具として知られる。十手術は個人が近距離で刀に対抗する技術であるのに対し、三ツ道具は長柄によって間合いを確保し、複数人で連携して用いる集団戦術の道具という違いがある。江戸の治安維持は、刀剣を帯びた武士や浪人を相手にすることも想定されており、殺傷を避けつつ確実に取り押さえるための道具立てとして、十手と三ツ道具は役割を分担しながら併用されていたと考えられている。同心が十手で相手の刀を制しつつ間合いを詰め、その隙に配下の者が三ツ道具で取り押さえるという連携も、当時の捕物のあり方として想定しやすい。
このような道具立ての背景には、罪人であっても可能な限り生きたまま捕らえ、取り調べや裁きの場に引き出すという江戸期の捕物に対する考え方がある。三ツ道具はまさにこの思想を体現した道具であり、刀剣という殺傷力の高い武器を持つ相手に対しても、道具の工夫と複数人の連携によって無傷での確保を狙うものだった。現在、刺又をはじめとする三ツ道具の実物は各地の資料館や博物館で見ることができ、江戸時代の治安維持の実態を伝える資料として展示されている。刀そのものが持つ殺傷能力の高さを踏まえたうえで、それに対抗する側の道具立てを見ていくと、江戸という都市がいかに実務的な治安維持の工夫を積み重ねてきたかがよくわかる。刀剣そのものの歴史や文化的背景に関心のある方は、TOUKENZAのオンラインカタログで実際の刀剣を閲覧できるので、あわせて参考にしていただきたい。
日本刀×日本文化体験
観光スポットと刀剣文化をつなぐ多言語展開。