※画像はイメージです。山県昌景
Yamakita Masakage
武田四天王・赤備えの猛将
解説
山県昌景(1529-1575)は武田信玄・勝頼に仕えた「武田四天王」の一人であり、「赤備え」と呼ばれる赤色に統一された甲冑を纏う精鋭騎馬隊を率いた猛将である。馬場信春・内藤昌豊・高坂昌信とともに武田軍団の中核を担い、特に騎馬戦術の天才として名を馳せた。
昌景はもともと武田家の馬廻り衆(将軍直属の護衛騎馬隊)に属し、信玄の下で数々の合戦に参加して武功を重ねた。その騎馬の腕前は武田軍中でも随一とされ、信玄から赤備えの騎馬隊指揮を委ねられた。この赤備えの軍団は武田軍最強の突撃隊として諸将に恐れられ、昌景の指揮の下で多くの合戦で決定的な突破口を開いた。
信玄死後、昌景は武田勝頼に引き続き仕えた。1575年の長篠の戦いでは、織田・徳川連合軍の鉄砲隊と正面衝突することになった。戦術的には騎馬隊の突撃が鉄砲の一斉射撃に対して不利であることは昌景も認識していたとされるが、主君・勝頼の命令に従って突撃を敢行した。この戦いで昌景は戦死し、享年47であった。
刀剣との関わりにおいて、昌景は武田軍の中でも特に実戦的な刀剣を重視した将として知られる。甲斐(山梨)の刀工が打った刀は堅牢な実戦刀として高く評価されており、昌景の率いる赤備えの騎馬隊はその装備においても最高水準を誇った。昌景の佩刀は「山県の一刀」として語り継がれ、騎馬武者の刀剣文化の象徴的存在となっている。
昌景の死後、赤備えの伝統は武田旧臣を召し抱えた井伊直政(井伊の赤備え)へと継承され、後の時代においても武将の誇りある軍装として語り継がれた。武田軍最強の突撃隊を率いた山県昌景は、戦国時代の騎馬戦術の頂点を体現した武将として今日でも高い評価を受けている。
所持した刀剣
- 甲州系実戦刀(山県家伝来)
- 赤備えの陣刀