※画像はイメージです。戦国時代1554-1579
上杉景虎
Uesugi Kagetora
北条氏康の七男・上杉謙信の養子
解説
上杉景虎(1554-1579)は北条氏康の七男として生まれ、上杉謙信との北条・上杉間の和睦(永禄12年/1569年)を契機に謙信の養子となった戦国武将である。北条家では三郎と名乗ったとされる。謙信から自身の初名である「景虎」の名を与えられた。
天正6年(1578年)3月、謙信が急死すると、もう一人の養子・上杉景勝との家督争いが勃発し、御館の乱となった。当初は景虎が有利であったが、武田勝頼が景勝との和睦を選んだことで形勢が逆転。北条家の援軍は間に合わず、翌天正7年(1579年)に鮫ヶ尾城(新潟県妙高市)で孤立した景虎は自害し、26歳で没した。
景虎はその家格(北条氏嫡流の血筋)と謙信後継者としての正統性から、越後国人・関東武将の多くに支持された。御館の乱での景虎の敗北は武田氏と北条氏の甲相同盟の破綻を招き、その後の東国の情勢にも影響を与えた。刀剣に関する具体的な記録は確認できない。