※画像はイメージです。平安末期1157-1185
平重衡
Taira no Shigehira
南都焼討を指揮し、一ノ谷で捕らえられた平家の武将
解説
平重衡は平清盛と平時子の子で、宗盛・知盛の同母弟にあたる。保元2年(1157)に生まれ、元暦2年(1185)6月23日に木津川畔で斬首された。享年は29とされる。
南都焼討
治承4年(1180)12月28日、重衡の軍は南都に攻め入り、興福寺と東大寺の堂塔を焼いた。大仏も焼け落ちた。『平家物語』は、民家の火が風にあおられて延焼したとする。
一ノ谷での生け捕り
寿永3年(1184)2月、一ノ谷の戦いで馬を射られ、捕らえられた。捕縛者は『吾妻鏡』では梶原景時、『平家物語』では梶原景季とされる。同年3月に鎌倉へ護送され、源頼朝と対面した。『平家物語』では鎌倉で千手前が重衡を慰めるが、これは物語の描写とされる。
南都での最期
元暦2年(1185)6月、重衡は鎌倉を出て南都へ送られ、22日に東大寺の使者へ引き渡された。翌23日、木津川畔で斬首され、首は奈良坂の般若寺門前に梟首されたという。
東大寺の再建
南都焼討で東大寺の大仏殿など主要建築の大半は失われた。再建は俊乗房重源が指揮し、大仏殿は鎌倉時代初めに再建された。同時代の公家日記『玉葉』には、治承5年閏2月15日条に重衡の将才を評する記述がある。