※画像はイメージです。立花誾千代
Tachibana Ginchiyo
立花道雪の一人娘にして史上唯一の確実な「女城督」——七歳で立花山城を継いだ筑前の女傑
解説
鬼道雪の一人娘
立花誾千代(たちばなぎんちよ、永禄十二年・一五六九年〜慶長七年・一六〇二年)は、豊後大友氏の重臣・戸次鑑連(べっき あきつら、後の立花道雪)の一人娘として、筑前国(現在の福岡県)に生まれた。父・道雪は「鬼道雪」と恐れられた大友家随一の猛将であり、男子に恵まれなかった道雪は、娘の誾千代を後継者に定めた。
七歳で城督を相続
天正三年(一五七五年)頃、誾千代はわずか七歳で父・道雪から立花山城の城督(城主の地位)・所領・城内の武具一切を譲られた。女性が城督の地位を継承したことが一級史料で確認できるのは、日本史上で誾千代がほぼ唯一の例とされ、その特異性は際立っている。幼くして城の主となった彼女は、城内の侍女たちを薙刀で武装させ、有事に備えたとも伝わる。
立花宗茂との婚姻
天正九年(一五八一年)、誾千代は十三歳で、道雪の養子に迎えられた高橋紹運の子・統虎(後の立花宗茂)と結婚した。宗茂は「東の本多忠勝、西の立花宗茂」と並び称される名将に成長し、立花家は筑後柳川を領する大名となる。婚姻によって立花家の家督と城督は統合され、夫婦はそれぞれに武勇で名を馳せたが、後年は別居して暮らしたと伝わり、誾千代は宮永の地に移って「宮永殿」と呼ばれた。
誾千代と「雷切丸」
立花家には「雷切丸(らいきりまる)」と呼ばれる名刀が伝来している。これはもと「千鳥」と称した刀で、父・道雪が落雷に遭った際にこの刀で雷神を斬ったという『大友興廃記』の逸話から「雷切」と改名されたと伝わる。誾千代自身がこの刀を振るったという記録はないが、雷切丸は父・道雪ゆかりの立花家の家宝であり、現在は立花家史料館に磨上げられた脇差(無銘・刃長五八・五センチ)として所蔵されている。誾千代は、この武勇の象徴に連なる立花家の刀剣文化のなかで育った女性であった。
早すぎる晩年
慶長五年(一六〇〇年)の関ヶ原の戦いで立花家は西軍に与し、宗茂は一時改易された。誾千代はその激動のなかで慶長七年(一六〇二年)、三十四歳の若さで病没した。彼女の死とともに父・道雪の血筋は途絶えたが、「もう一人の女城主」として、また武家の女性が城を継いだ稀有な実例として、その名は今も語り継がれている。
所持した刀剣
- 雷切丸(父・立花道雪ゆかりの立花家の家宝。もと「千鳥」と称し、道雪が雷神を斬ったとの伝承から改名されたと伝わる。現在は立花家史料館に磨上げの脇差として所蔵)
- 城内の侍女が帯びた薙刀(七歳で城督を継いだ誾千代が、有事に備え侍女たちを武装させたと伝わる長刃物)