※画像はイメージです。戦国〜江戸初期1548-1635
相馬義胤
Soma Yoshitane
伊達政宗と生涯争い、改易の危機を乗り越え相馬中村藩の礎を築いた
解説
相馬義胤は陸奥国の武将で、相馬氏の16代当主。天文17年(1548年)に相馬盛胤の嫡男として生まれ、寛永12年(1635年)に88歳で没した。
家督相続と伊達氏との抗争
永禄6年(1563年)に初陣として反乱鎮圧に参加し、天正6年(1578年)に父の隠居で家督を継いだ。天正9年(1581年)から天正17年(1589年)にかけて伊達輝宗・政宗父子と領土を争い、天正13年(1585年)の人取橋の戦いでは蘆名・佐竹連合に加わって約300騎で参戦した。天正17年(1589年)の摺上原の戦いののち蘆名氏が滅び、窮地に立たされた。
豊臣政権下
天正18年(1590年)5月下旬に豊臣秀吉に謁見して小田原征伐に参陣し、7月26日の宇都宮仕置で本領三郡を安堵された。文禄元年(1592年)には朝鮮出兵で名護屋に在陣した。
関ヶ原後の危機と中村城移転
慶長5年(1600年)には所領の守りを固め、政宗の相馬領通過を承諾した。慶長7年(1602年)5月、佐竹義宣の改易に連座して改易の危機に直面したが、10月に長男の努力で撤回され、所領を安堵された。慶長16年(1611年)の会津地震・慶長三陸地震ののち、居城を小高城から中村城へ移した。慶長17年(1612年)に家督を利胤に譲って隠居した。
最期
遺言により、甲冑を着けたまま北向きに埋葬されたと伝わり、これは伊達氏の方角を睨む姿勢とされる。
刀剣との関わり
確認できた典拠に義胤の刀剣に関する記述はなく、特定の刀剣は記さない。