※画像はイメージです。安土桃山〜江戸初期1568-1615
宗義智
Sō Yoshitoshi
対馬藩主として朝鮮外交と日朝国交回復を担った大名
解説
宗義智は、対馬の領主である宗氏の当主で、対馬藩主として朝鮮との外交を担った。1568年に生まれ、1615年に没した。
朝鮮外交の担い手
義智は秀吉の命を受け、小西行長らと共に朝鮮との交渉に尽力した。
文禄・慶長の役
義智は文禄・慶長の役で小西行長とともに各地で戦い、講和交渉にも努めた。
国書の改作と国交回復
対馬藩は国書の内容を改めるなどの工作を行い、1607年に朝鮮の使節が来日した。1609年の己酉約条で朝鮮との通交が再開された。
関ヶ原とその後
関ヶ原の戦いでは西軍に属したが、家康は朝鮮との国交修復を急いだため罪に問わず、所領を安堵した。
伝わる文書
対馬宗家文書は、国交回復のために偽造された朝鮮国王印などを含み、近世日朝関係の第一級資料とされる。