※画像はイメージです。kamakura1179–1227
島津忠久
Shimazu Tadahisa
解説
島津忠久(しまづただひさ、治承3年〈1179年〉〜嘉禄3年6月18日〈1227年7月28日〉)は、鎌倉時代初期の御家人で、島津氏の祖。惟宗広言の子とも、源頼朝の庶子ともいわれるが、同時代史料に頼朝落胤説の確証はなく、島津家の家伝に基づく伝承とされる。幼名は小太郎。
文治元年(1185年)、頼朝より島津荘(現在の宮崎・鹿児島・熊本の各県にまたがる大荘園)の下司職・総地頭職に補任され、島津の名字を称した。建久8年(1197年)には大隅国・薩摩国の守護にも任じられ、九州南部における武家支配の礎を築いた。
建仁3年(1203年)の比企能員の乱では比企氏との縁戚関係から連座し、一時守護職を没収されたが、後に復帰した。承久3年(1221年)の承久の乱後は越前国守護にも補任されるなど、幕府からの信任を保ち続けた。薩摩に根ざした島津氏はその後700年近くにわたり九州南部を統治し続け、明治維新まで存続した日本最長の武家の一つとなった。鎌倉の法華堂跡付近には忠久の墓所が残る。