※画像はイメージです。鎌倉時代1304–1333
北条高時
Hojo Takatoki
鎌倉幕府第14代執権(最後の得宗)
解説
北条高時(ほうじょうたかとき、嘉元元年12月2日〈1304年1月9日〉〜元弘3年/正慶2年5月22日〈1333年7月4日〉)は、鎌倉幕府第14代執権。第9代執権・北条貞時の三男。北条氏得宗家最後の当主として、幕府滅亡とともに生涯を終えた人物である。
執権政治と内憂
延慶2年(1309年)に7歳で元服し、正和5年(1316年)に第14代執権に就任した。正中3年(1326年)に病のため執権を辞して出家(法名・崇鑑)したが、その後も得宗として幕府の頂点にあった。しかし病弱であったとされ、政務は実質的に安達時顕や長崎高資ら権臣が担った。高時自身は闘犬を溺愛したことで知られ、田楽に興じるなど享楽的な側面が後代に強調されてきた。ただしこれらの記録の多くは後世の軍記物語(太平記)に基づいており、その信憑性については留保が必要である。
幕府の滅亡
元弘の乱(1331〜1333年)で後醍醐天皇が倒幕を企てると、幕府は六波羅探題を通じて対処した。しかし新田義貞が元弘3年(1333年)5月に鎌倉へ攻め込み、幕府軍は連敗を喫した。5月22日、高時は一族・郎党870余名とともに東勝寺(鎌倉市)で自害した。享年31歳。これをもって北条氏の執権政治と鎌倉幕府は完全に終焉を迎えた。
後世の評価
太平記では暗君として描かれることが多いが、近年の研究では内外の政治的圧力の中で苦境に立たされた人物という見方も強まっている。東勝寺での集団自害は「北条一族の最期」として日本史上の悲劇的場面の一つに数えられる。