※画像はイメージです。南北朝~室町1350-1410
斯波義将
Shiba Yoshimasa
管領
解説
概要
斯波義将は南北朝から室町時代前期にかけての武将・幕府重臣。斯波高経の子で、通算4期にわたって室町幕府の管領を務め、二代義詮から四代義持までを支えた。細川氏と並ぶ幕府の二大柱の一角として、斯波氏(武衛家)の政治的地位を確立した人物である。
若年での管領就任と貞治の変
観応元年(1350年)、斯波高経の子として生まれる。貞治元年(1362年)、13歳で管領に就任した。実権は父高経が握り義将は名目上の管領であったが、この抜擢には佐々木道誉の推挙が関わったとされる(ただし道誉自身は、婿にあたる義将の兄・氏頼を推したという)。貞治5年(1366年)、高経の専横に対する反発から貞治の変が起こり、義将は父とともに失脚して越前へ逼塞する。父の死後、翌年に上洛して将軍から正式に赦免された。
康暦の政変
幕政に復帰した義将は、管領・細川頼之の政治に反発する守護大名層と結ぶ。康暦元年(1379年)、京極高秀・土岐頼康らとともに将軍邸である花の御所を包囲し、頼之を管領職から追った(康暦の政変)。頼之は自邸を焼いて領国の四国へ落ち延び、義将が代わって管領に就任した。若年期に自らを失脚させた勢力への政治的逆転でもあった。
幕政運営と晩年
以後、義将は明徳2年(1391年)まで長期にわたり管領を務め、さらに明徳4年(1393年)から応永5年(1398年)、応永16年(1409年)にも再任されている。越中国では桃井直常・直信兄弟を討ち、長沢の戦いに勝利して同国を平定した。応永の乱では大内義弘の討伐に従軍している。三代義満の専制下でも重きをなし、義満の死後は四代義持を支えて幕政を主導した。応永17年(1410年)、61歳で死去。