※画像はイメージです。江戸時代初期1587-1662
酒井忠勝
Sakai Tadakatsu
家光に「右手は讃岐」と頼られた老中・大老、小浜藩初代藩主
解説
酒井忠勝(さかい ただかつ、天正15年〈1587年〉-寛文2年〈1662年〉)は、江戸時代初期の幕臣・大名で、徳川家光の下で老中・大老を務めた人物である。讃岐守を称し、若狭小浜藩の初代藩主となった。
経歴
元和8年(1622年)、若き徳川家光の側に付けられた。寛永元年(1624年)には土井利勝とともに老中となった。寛永4年(1627年)、父の8万石を継いで川越藩2代藩主となり、寛永11年(1634年)には若狭に移って小浜藩12万3500石を治めた。明暦2年(1656年)に隠居し、藩を四男に譲っている。
逸話
家光は「余の右手は讃岐、左手は伊豆(松平信綱)」と語ったと伝わる。駿河18万石、あるいは甲府24万石への加増を打診された際には、過分の禄は驕りを生み、後の代を危うくするとして辞退したという。夜間の警護の際、将軍の草履をひそかに懐で温めたという逸話も伝わる。
刀剣との関わり
確認できた典拠に忠勝の刀剣に関する記述はなく、特定の刀剣は記さない。