※画像はイメージです。戦国時代1552-1585
二本松義継
Nihonmatsu Yoshitsugu
伊達輝宗を道連れに散った二本松城主——粟ノ巣の変の当事者
解説
生涯
二本松義継(1552-1585)は陸奥国二本松城主・畠山氏(二本松氏)の当主。伊達政宗が岳父・田村清顕とともに大内定綱を攻めた際、定綱と姻戚関係にあった義継も政宗の攻撃対象となった。義継は政宗に降伏を申し出たが、政宗は所領のほとんどを没収し、大名の地位を維持できない状況に追い込もうとした。
粟ノ巣の変
天正13年(1585年)10月8日、輝宗らの斡旋で和睦が成ったことの礼を述べるため、義継は輝宗の滞在する宮森城を訪れたが、その帰り際、見送りに出た輝宗を家臣とともに拉致した。報せを受けた政宗らが兵を率いて追跡し、二本松領との境目にあたる高田原で義継の一行に追いつき、輝宗もろとも討ち果たした。
逸話と評価
輝宗の亡骸は荼毘に付されて資福寺に葬られた一方、義継の遺骸は斬り刻まれたうえ、藤蔓で繋ぎ合わせて吊るされたと伝わる。この事件は政宗と周辺勢力との関係を決定的に悪化させ、翌月の人取橋の戦いへと連鎖した。
後世の評価
伊達家の前当主・輝宗を巻き込んだ壮絶な最期は、戦国末期の南奥州における国衆の窮迫と非情な政略の帰結として、今日も語り継がれている。