※画像はイメージです。水野勝成
Mizuno Katsushige
鬼日向・無敵の戦国武将から徳川の名将へ
解説
水野勝成(1564-1651)は、徳川家康の従兄弟にあたる武将であり、「鬼日向」「勝負師」の異名を持つ戦国最強クラスの武人の一人である。若き日には主君を離れての流浪生活を送りながら各地で武者修行を積み、戦国時代の「渡り武者」の典型として名を馳せた。
勝成は1564年、水野忠重の子として三河国(現・愛知県)に生まれた。父・忠重の姉が徳川家康の生母・於大の方にあたるため、家康とは従兄弟の関係にある。若い頃に父と激しく対立して出奔し、九州・中国・四国・近畿と各地を転々としながら「一番槍」「一番首」を目指して戦場を渡り歩いた。この流浪の期間に培われた実戦経験と剣技は、後に「鬼日向」と恐れられるほどの武威の源となった。
関ヶ原の戦い(1600年)では東軍(徳川方)に属し、福島正則らと共に活躍した。この功績によって大名に取り立てられ、最終的には備後・福山10万石の藩主となった。大坂の陣(1614-1615年)においても大活躍し、70歳を超えても槍を振るったと伝えられる。
刀剣との関わりでは、勝成は日本刀の達人として知られた。流浪の武者修行時代に各地で剣術を磨き、特に一刀流の技を極めた。彼が所持した刀は「水野勝成の名刀」として知られ、関ヶ原・大坂の陣の戦場を共に歩んだ実戦刀として尊ばれている。また、福山藩主として備後の刀剣産業を保護し、地域の刀工文化の振興に貢献した。
1651年、88歳という長寿を全うして世を去った勝成は、戦国乱世から太平の世への移行期を生き抜いた武人の生き様を体現している。その波乱万丈の生涯は、現代においても多くの歴史小説や大河ドラマの題材として取り上げられている。
所持した刀剣
- 水野勝成の実戦刀(関ヶ原の陣刀)
- 備後福山藩伝来の名刀