※画像はイメージです。戦国時代〜安土桃山時代1536-1591
九戸政実
Kunohe Masazane
秀吉の天下統一「最後の戦い」——九戸政実の乱の首魁
解説
生涯
九戸政実(1536-1591)は陸奥国の南部氏一族・九戸氏の当主で、九戸城主。九戸氏は南部氏始祖・南部光行の六男・行連を祖とすると伝わる有力一族であった。
九戸政実の乱
南部氏当主の座をめぐり、田子信直(南部信直)が政実の弟・実親を退けて三戸南部家当主となると、政実は信直との関係に亀裂を深めた。豊臣秀吉の朱印状により信直が南部宗家として公認され、他勢力に信直への服属が求められたことに反発した政実は、天正19年(1591年)3月に挙兵。9月には豊臣秀次を総大将とする再仕置軍6万が、馬淵川・白鳥川・猫渕川に囲まれた要害・九戸城を包囲した。
降伏と最期
政実は降伏勧告を受け入れ、9月4日に白装束姿で開城・降伏した。連行された政実は秀次の指示により三ノ迫で斬首され、享年56であった。
後世の評価
豊臣秀吉による天下統一事業の最終局面を飾った戦いとして「九戸政実の乱」は位置づけられ、政実は南部の意地を最後まで貫いた武将として、岩手県の九戸城跡とともに今日も顕彰されている。