※画像はイメージです。鎌倉時代1245-1298
菊池武房
Kikuchi Takefusa
元寇で一族を率いて戦った肥後菊池氏の第10代当主
解説
菊池武房(きくち たけふさ)は、鎌倉時代中期の武将で、肥後菊池氏の第10代当主である。寛元3年(1245年)に生まれ、永仁6年8月27日(1298年10月3日)に54歳で没した。父は第9代当主の菊池隆泰で、武房は三男にあたる。武房の長男・隆盛が早世したため、のちには孫の時隆が跡を継いだ。没年には異説があり、『菊池郡誌』は薗田本系図の弘安8年(1285年)とする記載を誤りと指摘している。
文永の役
文永11年(1274年)の文永の役では、弟の赤星有隆とともに上陸し、赤坂まで進出した元軍を破った。元軍の主力は麁原へ、一部は別府の塚原まで退けられ、菊池勢100余騎は多数の元兵の首を付けて帰陣したとされる(赤坂の戦い)。
弘安の役
弘安4年(1281年)の弘安の役でも活躍して武功を挙げた。ただし朝廷からは甲冑を賜ったものの、幕府からの行賞はなかったとされ、そのため武房は反幕府へ傾いていたと記される。
逸話
文永10年(1273年)5月に北条政村が死去した際、政村の甥で娘婿の北条実時に弔問の書状を送った。書状では、異国の事を理由に鎮西の地頭御家人は参向してはならないとの御教書が出ているため、参拝できないことを残念がっている。
蒙古襲来絵詞
『蒙古襲来絵詞』には、元寇防塁に座る武房の姿が描かれており、一族を挙げて戦った活躍が伝わる。
後世評価
大正4年(1915年)11月10日に従三位を贈られた。