※画像はイメージです。神功皇后
Empress Jingū
『記紀』が伝える伝説の皇后——三韓征伐神話に描かれた「武装する皇后」
解説
神功皇后(じんぐうこうごう)は、『古事記』(712年)・『日本書紀』(720年)に記された伝説的な女性である。仲哀天皇の皇后とされ、仲哀天皇8年(記紀伝承上は199年)、夫に代わって神託を受け、朝鮮半島への出兵(三韓征伐)を指揮したと記紀に伝わる。『日本書紀』によれば、男装して自ら新羅へ出兵し、戦わずして新羅を降し、百済・高句麗も帰順させたとされる。さらに、応神天皇を身ごもったまま出征し、出産を遅らせるために「月延石」「鎮懐石」と呼ばれる石を腹に当てたという逸話も伝わる。
ただし、神功皇后の実在性については現在の歴史学において実在説・非実在説が並存しており、「実在が確認できない伝説上の人物」とする見方が有力である。三韓征伐の伝承は、7世紀に斉明天皇が新羅出兵を指揮した史実がモデルとなり、推古朝以降に登場した実在の女帝たちの事績を投影して8世紀の記紀編纂時に脚色・造形された可能性が研究者から指摘されている。仮に神功皇后に対応する人物が実在したとしても、3〜4世紀頃の人物と推定されるに過ぎず、確実な年代の特定には至っていない。本稿もこの人物を史実上の武将としてではなく、記紀が伝える伝承上の存在として扱う。
刀剣との関わりとしては、石上神宮の国宝「七支刀」が知られる。『日本書紀』は、神功皇后摂政52年に百済から朝廷へ「七枝刀」が進呈されたと記しており、これが現存する七支刀にあたると推定されている。ただし刀身の銘文研究からは4世紀後半の制作と見られ、記紀が伝える年代とは学術的な議論が残る。また、神功皇后ゆかりの地とされる香椎宮には、三韓からの帰還に際して剣・鉾・杖を埋めたとする伝承も残されている。全国に約2,300社余りを数える住吉神社の総本社・住吉大社も、神功皇后摂政11年の創建と伝えられ、三韓征伐の成功を住吉三神の加護によるものとする信仰に由来するとされる。
女帝が自ら軍を率いて海を渡ったとする神功皇后の物語は、史実そのものというより、後世に理想化・神格化された「武装する皇后」像として、記紀神話の中でも特異な位置を占めている。
所持した刀剣
- 七支刀(『日本書紀』が神功皇后摂政52年に百済から進呈されたと伝える七枝刀に比定される国宝。ただし刀身銘文の研究では4世紀後半の作とされ、記紀の年代とは学術的な議論が残る。石上神宮所蔵)