※画像はイメージです。戦国時代
神後宗治
Jingo Muneharu
上泉信綱に随行した新陰流「四天王」の一人
解説
上泉信綱への入門
神後宗治は、新陰流の祖・上泉伊勢守信綱の高弟の一人である。信綱が上野国・箕輪城主長野氏の没落を機に諸国を巡って新陰流を広めた際、神後宗治は疋田景兼(豊五郎)らとともに信綱に随行し、各地での指南に従った。
新陰流「四天王」
神後宗治は、疋田景兼・丸目長恵(蔵人佐)・奥山公重とともに、上泉信綱の高弟の中でも特に優れた四人「新陰流四天王」の一人に数えられている。四天王はそれぞれ独自の工夫を新陰流に加え、後世へと伝えたことで知られる。
諸国修行への随行
信綱の諸国巡遊においては、神後宗治は最古参の高弟の一人として常に信綱の側近くにあり、将軍・大名家への指南の場にも同席したと伝えられている。
後世評価
神後宗治自身の事跡を伝える史料は、丸目長恵や疋田景兼に比べると乏しいが、新陰流の全国的な伝播を最側近として支えた高弟の一人として、剣術史上に名を残している。