板部岡江雪斎
Itabeoka Kōsetsusai
後北条氏三代に仕えた外交僧、愛刀「江雪左文字」に名を残す
解説
生涯
天文6年(1537年、一説に天文5年)、伊豆国田方郡田中郷の領主・田中泰行の子として生まれたとされる。はじめ真言宗の僧侶となったが、後に後北条氏に仕えるようになり、板部岡康雄の名跡を継いで還俗し、右筆・評定衆として北条氏康・氏政・氏直の三代に仕えた。
外交僧としての活躍
能筆と弁舌の才を買われ、北条家の対外交渉の窓口として重用された。武田氏・織田氏との交渉に赴いたほか、当主・氏直と徳川家康の娘・督姫との婚姻交渉をまとめるなど、北条家の外交戦略の要を担った。天正17年(1589年)の沼田領裁定をめぐる紛争では、豊臣秀吉との関係修復にも奔走したが、翌年の小田原征伐を防ぐには至らなかった。
小田原合戦後
天正18年(1590年)の小田原開城にあたっては、和睦交渉の使者として奔走した。北条氏滅亡後は豊臣秀吉に召し出されて御伽衆に列せられ、秀吉没後は徳川家康に接近し、関ヶ原の戦いにも従軍したと伝わる。慶長14年(1609年)に没した。
刀剣との関わり
江雪斎の愛刀は「江雪左文字」と呼ばれ、南北朝期の刀工・左文字の作と伝わる。北条家滅亡に際して徳川家康に献上され、家康から紀州徳川家の祖・徳川頼宣に贈られて以降、紀州徳川家の家宝として伝来した。現在は国宝に指定され、広島県福山市のふくやま美術館に所蔵されている。
後世評価
江雪斎は茶の湯や和歌にも通じた教養人として知られ、武辺一辺倒ではない外交官僚型の武将の先駆けとして評価される。愛刀「江雪左文字」は今日国宝としてその名を留め、戦国末期における北条家の外交と教養を象徴する存在となっている。
所持した刀剣
- 江雪左文字