※画像はイメージです。戦国・江戸1535年頃-1615年(享年81と伝わる)
円久尼
Enkyū-ni
女武将——夫の死後に城を守った百武家の妻
解説
円久尼とは
円久尼(えんきゅうに)は、戦国時代に肥前国の戦国大名・龍造寺隆信に仕えた武将・百武賢兼(ひゃくたけ とももしげ、百武志摩守)の妻である。俗名を藤子(ふじこ)といい、龍造寺氏の重臣「龍造寺四天王」の一人に数えられた夫を支えた。藤子は大刀無双と称されるほどの武芸の達人であり、和漢の学にも通じ、婦徳にも優れた人物として周囲から敬われたと伝わる。
沖田畷の戦いと夫の死
天正十二年(一五八四年)三月、島原半島で龍造寺隆信と有馬晴信・島津家久の連合軍が激突した沖田畷の戦いにおいて、夫・百武賢兼は主君・隆信とともに討死した。
蒲船津城の籠城戦
同年九月、大友方の戸次道雪らが蒲船津城を攻撃した際、藤子は自ら武装を整え、大薙刀を小脇に抱えて城戸口に立ち、必死の防戦を行ったと伝えられる。その気迫は敵方を驚かせ、容易に城へ近づかせなかったという。窮地に陥った際は中野神右衛門清明の助けを得て危機を脱したと伝わる。
出家とその後
夫の死後、藤子は剃髪して円久尼と号した。その後、龍造寺氏の後を継いだ鍋島直茂の依頼を受けて城の守りに携わったとも伝えられる。晩年は郷里へ帰り、慶長二十年(一六一五年)、八十一歳で没したとされる。
評価
円久尼の事績は佐賀県の郷土史・文化資料にも取り上げられており、夫を失った戦国武家の女性が自ら武具を取って城を守った実例として、地域の歴史の中で語り継がれている。
所持した刀剣
- 大薙刀(蒲船津城の籠城戦で用いたと伝わる得物)