※画像はイメージです。戦国時代?-1615
円久尼
Enkyū-ni
女武将——夫の死後に城を守った百武家の妻
解説
円久尼とは
円久尼(えんきゅうに)は、戦国時代に肥前国の戦国大名・龍造寺隆信に仕えた武将・百武賢兼(ひゃくたけ ともかね、百武志摩守)の妻である。龍造寺氏の重臣「龍造寺四天王」の一人に数えられた夫を支えた。男勝りの性格で「大剛無双」と評され、普段から乗馬を好んだと伝わる。
沖田畷の戦いと夫の死
天正十二年(一五八四年)三月、島原半島で龍造寺隆信と有馬晴信・島津家久の連合軍が激突した沖田畷の戦いにおいて、夫・百武賢兼は主君・隆信とともに討死した。
蒲船津城の籠城戦
沖田畷の戦いの後、大友方の戸次道雪・高橋紹運が蒲船津城を攻撃した際、彼女は亡夫に代わって城を守り、これを撃退したと伝えられる。『北肥戦誌』には、大友氏との戦いで鍋島直茂の命により城を守備し、自ら薙刀を携えて城の戸口に立ち、兵を指揮したという逸話も残る。
出家とその後
夫の死後に剃髪し、円久尼(法名・円久妙月)と号したと伝わる。
評価
円久尼の事績は佐賀県の郷土史・文化資料にも取り上げられており、夫を失った戦国武家の女性が自ら武具を取って城を守った実例として、地域の歴史の中で語り継がれている。
所持した刀剣
- 薙刀(城の守備で自ら携えたと伝わる得物)