※画像はイメージです。朝倉宗滴
Asakura Sotetsu
越前朝倉家の名将・戦国最高の軍略家の一人
解説
朝倉宗滴(1477-1555)は、越前国(現在の福井県)の戦国大名・朝倉氏に仕えた武将であり、朝倉氏第7代当主・朝倉孝景(英林孝景)の八男として一乗谷を本拠に活躍した名将である。越前朝倉氏の最盛期を支えた参謀・宿将として、戦国最高の軍略家の一人に数えられている。
宗滴は1477年に朝倉孝景の八男として生まれ、若年より兄・孝景の下で軍事・政治の才能を発揮した。孝景の死後は甥の延景(貞景)・宗淳(朝倉孝景二代目)・義景の3代にわたって朝倉家を補佐し、越前の安定と繁栄を支え続けた。「宗滴話記」と呼ばれる軍記に彼の兵法思想が記されており、その内容は後世の武家社会において高く評価された。
宗滴の軍事的才覚は特に加賀一向一揆(加賀の一向一揆)との戦いで発揮された。1506年の九頭竜川の戦いなど、越前の国境を脅かす一向一揆の動きに対して、宗滴は巧みな戦術で対処し越前の安全を守った。また若狭・近江・加賀など周辺国との外交・軍事において、宗滴の判断は朝倉家の命運を幾度も救った。
宗滴の残した兵法書「宗滴話記」には、「武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」(武士は犬と言われようと畜生と言われようと、勝つことが根本である)という有名な言葉が収録されており、戦国武将の現実的な戦争観を端的に示している。また「兵法とは理にて勝つこと」という思想は、力ではなく知略・謀略によって戦況を制する戦国の軍師の理想を体現するものであった。
日本刀との関わりにおいて、宗滴は越前朝倉氏の宿将として、越前の刀剣文化を深く理解していた。越前は古来から刀鍛冶の産地として知られ、朝倉氏の保護のもとで越前鍛冶が発展した。宗滴が用いた刀剣は越前の刀工による作とされ、その武威を象徴するものであった。朝倉氏滅亡後も越前鍛冶の伝統は受け継がれ、宗滴の名はその保護者として刀剣史にも刻まれている。
所持した刀剣
- 越前鍛冶による朝倉家伝来の太刀
- 宗滴愛刀・越前の名工作の打刀