※画像はイメージです。長曽祢興正
Nagasone Okimasa
解説
長曽祢興正と初代虎徹
長曽祢興正(ながそねおきまさ)は、江戸時代前期に武蔵国江戸で活動した刀工で、通称を庄兵衛といった。日本刀の斬れ味ランキング書として知られる『懐宝剣尺』などの資料で最上大業物に列せられた名工・長曽祢興里(ながそねおきさと、号は虎徹)の実子とも、門人で後に養子となったとも伝えられる。Wikipediaや刀剣ワールド(touken-world.jp)、名刀幻想辞典などの資料によれば、興正は師である興里の甲冑師時代から助手を務めていたとみられ、単独での作刀活動は主に興里が没した延宝6年(1678年)以降に本格化した。
二代目虎徹としての活動
現存する年紀のある作のうち最古は寛文13年(1673年)、最も遅いものは元禄3年(1690年)で、この間に刀・脇差・槍を鍛えた。当初は師の興里と同じ場所に住んでいたが、元禄10年(1697年)刊行の『国花万葉記』の記事などから、この頃には神田へ移住していたと推測されている。銘には「長曽祢興正」「長曽祢虎徹興正」「長曽祢虎徹二代目興正」などが見られるが、興里が用いた「乕徹」の字を使った銘は確認されていない。
作風
興正の作風は、反りの浅い姿に板目肌(いためはだ)の地鉄を組み合わせ、数珠刃(じゅずば)風の互の目乱れや広直刃(ひろすぐは)を焼くなど、養父・興里の作風と多くの共通点を示す。地には砂流し(すながし)が見られることも特徴とされる。
評価
興正の作例は興里に比して少ないが、これは師の作刀を助ける仕事に多くの時間を割いていたためと考えられている。江戸期の刀剣ランキング書では「新刀最上作」に位置づけられ、切れ味の面でも興里と並んで最高ランクの「最上大業物」に選ばれており、初代虎徹に匹敵する技量を持つ刀工として高く評価されている。