次郎太郎直勝
Jirōtarō Naokatsu
解説
系統・流派
次郎太郎直勝(じろうたろうなおかつ)は、江戸時代後期の刀工で、新々刀期を代表する名工・大慶直胤の門人である。はじめ上総次郎太郎と称し、直胤に入門してその娘婿となり、のちに養子となった。直胤の初期銘である「次郎」を与えられて「上総次郎直勝」と名乗り、その後「荘司次郎太郎直勝」の銘を切っている。直胤は水心子正秀の門人であり、直勝は水心子一門の流れを汲む刀工に位置づけられる。
経歴
直勝は上野国館林藩秋元家に仕え、江戸下谷に住した。安政5年(1858)7月22日、54歳で没した。嘉永5年(1852)には越後国水原で作刀しており、「刀 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年二月日於越後国水原造之」が伝わる。天保6年(1835)、弘化5年(1848)、安政2年(1855)などの年紀をもつ作が伝わり、天保から安政にかけて作刀を続けたことがわかる。子の弥門直勝は天保6年(1835)に生まれ、初め直好と名乗り、のちに「荘司弥門直勝」の銘を切って二代目を継いだ。父と同じく景光・兼光風の備前伝を得意とし、明治17年(1884)に没している。
作風
直勝は、備前国長船派の景光や兼光に見られる肩落ち(片落ち)互の目乱れを写した刀を得意とした。越後水原打ちの刀は、地鉄がよく詰んだ小板目肌に乱れ映りが鮮明に立ち、景光を写した作と評される一方、鋒の帽子が優しく乱れ込むところは景光と異なる点とされる。
互の目に逆がかった足を交える刃文も見られ、相州伝の影響を示す作もある。また相州伝上位作の写しにも長けており、身幅が広い豪壮な姿の作は直胤以上の出来映えであったとも評される。
評価
直胤は晩年、非常に多くの代作を直勝に行わせたとされ、師の信頼の厚さがうかがえる。師・直胤の作風を忠実に継承した名工として知られ、新々刀の位列では上々作に数えられる。直胤の備前伝・相州伝の両様を受け継いだ刀工として、江戸後期の新々刀を語るうえで欠かせない存在である。
代表作
- 刀 銘 荘司次郎太郎藤原直勝 嘉永五年二月日於越後国水原造之
- 刀 銘 荘司次郎太郎直勝 弘化五年春正月(特別保存刀剣)