※画像はイメージです。尾張関(尾張三作)新刀業物(初代・二代)
伯耆守信高
Hōki no Kami Nobutaka
解説
伯耆守信高(ほうきのかみのぶたか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて尾張国(現在の愛知県西部)で活躍した刀工で、「尾張三作」の一人に数えられる名工である。
尾張への移住と経歴
信高は美濃国で鍛刀技術を磨いた後、天正16〜17年(1588〜89年)頃に尾張の清洲へ移り、1610年(慶長15年)に名古屋城の築城が始まると同時期に名古屋城下へ移住したとされる。以後、尾張徳川家の御用鍛冶として代々仕えることとなった。
尾張徳川家御用鍛冶としての世襲
信高の名跡は5代にわたり「伯耆守」の受領名を継承しており、尾張徳川家からの信任の厚さがうかがえる。尾張藩の藩工として長期間にわたり作刀を続けた。
作風の特徴
信高の作風は総体的に大人しいことが最大の特長とされる。刃文は沸本位でありながら、同じ尾張関を代表する刀工である相模守政常らと比べて沸が少なめであり、互の目乱が多く見られる。
代表作
代表作として刃長71.7cmの「刀 銘 伯耆守藤原信高」(特別保存刀剣)、刃長76cmの「大身槍 銘 伯耆守藤原信髙」(重要刀剣)が知られる。