※画像はイメージです。真田幸村の愛刀
Beloved Sword of Sanada Yukimura
別名: 真田信繁佩刀(大坂の陣・日本一の兵の刀)
解説
真田幸村(さなだゆきむら、1567〜1615)——本名・真田信繁——は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけて活躍した武将であり、「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と称えられた悲劇の英雄である。徳川家康をして「真田が一人、関八州に恐ろしき武者あり」と言わしめた幸村の武勇は伝説的であり、その愛刀は戦国末期の刀剣文化の象徴として今日も語り継がれている。
幸村は信濃国(現・長野県)の真田氏に生まれ、父・昌幸の薫陶のもとで武芸を磨いた。関ヶ原の戦い(1600年)では西軍として参戦し敗北、紀州九度山に蟄居させられた。しかし大坂の役(1614〜1615年)において徳川方を迎撃するために真田丸を築き、幾度も徳川軍を撃退する驚異的な戦いを見せた。大坂夏の陣(1615年)では「真田の赤備え」として知られる赤一色の甲冑と旗印で徳川本陣に突入し、家康を二度にわたって崩走させたとも伝えられる。最期は多勢に無勢、戦場に散った。
幸村の愛刀については複数の説がある。生前に用いた刀は信州の鍛冶が打ったとも、越後の刀工に依頼したとも伝わるが、確実な史料は少ない。長野市松代町の真田宝物館には旧松代藩主・真田家伝来の刀剣が複数所蔵されており、その中に幸村ゆかりと伝わる一振りが含まれるとされる。また大坂城の近辺や四天王寺など幸村終焉の地に関連する寺社には、幸村の佩刀として奉納・伝承された刀剣が複数現存し、地元では「幸村の刀」として篤い信仰を集めている。
刀身は打刀形式で刃長は二尺三寸前後、実戦での取り回しを重視した武将刀の典型的な寸法とされる。幸村は精強な騎馬武者としても知られ、馬上での斬り込みに適した長寸の打刀を好んで用いたと伝わる。赤備えの甲冑とともに佩かれた幸村の刀は、戦国武将の武威と美の融合を体現するものとして、後世の武士から憧憬の的となった。江戸時代を通じて幸村は「悲劇の英雄」として大衆的人気を博し、その愛刀もまた武人の魂を体現する聖遺物として崇敬を集めてきた。
逸話・伝説
真田幸村の愛刀には、大坂夏の陣で徳川本陣に突入した際、幸村の刀が徳川の旗本十数名を一度に斬り払ったという豪胆な伝説がある。また幸村が最期を遂げた際、その刀は鞘に戻ることなく地面に突き立てられており、後に拾い上げた者が研ぎに出すと刃に「幸」の字が浮かび上がったとも伝わる。さらに、九度山蟄居中に幸村が愛刀を枕元に置いて眠ると、夢の中で武田信玄公が現れ「その刀を振るう日が必ず来る」と告げたという逸話が、信州の古老の語り草として残っている。幸村の愛刀は「七難即滅・七福即生」の呪文が鞘に刻まれていたとも伝えられ、戦場での護身と勝利をもたらす霊刀として崇められた。