※画像はイメージです。その他の名刀太刀重要文化財
兵庫守家
Hyogo Moriie
別名: 兵庫守家・太刀 銘 備前国長船住守家・享保名物帳所載
解説
守家という刀工
守家(もりいえ)は、鎌倉時代中期、建長年間(1249〜1256年)頃より備前国畠田村(現在の岡山県備前市畠田)に住したと伝わる刀工で、備前畠田派の始祖とされる。備前刀の黄金期を支えた名工の一人であり、重要文化財に指定された作が十振、重要美術品が六振を数えるなど、現存する優品の多さで知られる。
「兵庫守家」の号
本太刀は「備前国長船住守家」と銘を切る一口で、名物「兵庫守家」の号で伝えられ、重要文化財に指定されている。現在は名古屋の徳川美術館が所蔵する。守家銘の作には畠田を冠するものと長船を冠するものがあり、同派の活動域と系譜をめぐる論点となっている。
贈答刀としての守家
「守家」という名が「家を守る」の意に通じることから、同工の作刀は武家において慶事の贈り物として重んじられた。徳川将軍家に世継ぎが誕生した際にも、諸大名や徳川御三家から守家の刀が幾度も献上された記録が残る。刀の切れ味や作域だけでなく、銘そのものが吉祥として機能した稀有な例である。
備前伝のなかの位置
畠田派は福岡一文字や長船派と同時代に備前で興った一派で、豪壮な太刀姿と華やかな刃文を身上とする。守家の作は備前伝の典型を示しつつ、贈答刀としての需要に支えられて数多くが大名家に伝来し、今日まで良好な状態で残された。
逸話・伝説
「守家」の二字が「家を守る」に通じるとして、武家では家督相続や世継ぎ誕生の祝儀に守家の刀を贈る慣習が生まれた。徳川将軍家に嗣子が生まれるたび、諸大名や御三家がこぞって守家の作を献上したという。刀の実用的価値ではなく銘の語義が珍重された、日本刀の受容史における特異な一例である。