※画像はイメージです。布都御魂
Futsunomitama
別名: 布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)・韴霊剣・石上神宮所蔵
解説
布都御魂(ふつのみたま)は、奈良県天理市に鎮座する石上神宮(いそのかみじんぐう)に御神体として祀られる古代の神剣であり、日本最古級の神剣として広く知られる。「布都御魂」という名はその霊威そのものを指す神名であり、剣そのものは「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」とも呼ばれ、古来より武の神・物部氏の至宝として崇められてきた。
石上神宮は物部氏(もののべうじ)が古代に奉祀した神社であり、神宮の禁足地(きんそくち)は明治時代まで長らく人の立ち入りが禁じられていた。1874年(明治7年)、大宮司・菅政友(かん まさとも)の指揮のもとで禁足地の発掘調査が行われた際、地中から多数の古代刀剣・鏡・勾玉などの神宝が発見された。その中に含まれていたのが布都御魂剣であり、鉄製の直刀という形態から弥生時代から古墳時代にかけての製作と推定されている。剣は現在も石上神宮の御神体として厳重に保管されており、一般への公開は行われていない。
刀身の形態は、現在我々が「日本刀」として親しむ反りのある湾曲した刀とは全く異なる、直線的な「直刀(じきとう)」である。中国大陸・朝鮮半島からもたらされた鉄器文化の影響を色濃く受けた古代の鉄製剣であり、反りのある日本刀が成立する平安時代以前の、日本列島における刀剣文化の源流を示す貴重な遺品として学術的価値は計り知れない。
物部氏は古代の軍事・祭祀を担う豪族として大和朝廷に仕え、武器の管理を司る氏族として知られた。布都御魂はその物部氏が奉斎した最も神聖な剣であり、天皇家の守護・国家の護持に深く関わる神剣として、日本の刀剣文化が成立する以前から「武の霊威」を体現する至高の存在とされてきた。石上神宮の祭神・布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)はこの剣の霊が神格化されたものであり、神と剣が一体となった信仰形態は日本古来の神道における剣崇拝の原型を今日に伝えている。
逸話・伝説
布都御魂の伝説は、日本神話の根幹に深く刻まれている。『日本書紀』『古事記』に記される神武東征(じんむとうせい)の段において、神武天皇が熊野(現・和歌山県・三重県)の荒ぶる神々の呪詛によって軍勢が昏倒する窮地に陥ったとき、高倉下(たかくらじ)という人物が夢に現れた天照大御神・高木神の命を受け、天蔵(あめのくら)から霊剣を取り出して神武天皇に献上した。この霊剣こそが布都御魂であり、剣の霊威によって呪詛が解け、神武天皇の軍勢は息を吹き返して大和平定を果たしたと伝えられる。 またさらに遡る神話では、建御雷神(たけみかづちのかみ)が葦原中国(地上世界)を平定する際に用いた剣が布都御魂であるとも語られる。建御雷神は大国主命(おおくにぬしのみこと)との交渉の場で布都御魂の刃先を大地に突き立て、その圧倒的な神威をもって大国主命から国を譲り受けたという。「布都(ふつ)」という語は古語で「霊妙な斬れ味」「電光のような切断力」を意味するとも解釈され、神の世界において最も恐るべき武の霊威を持つ剣として神話の中に屹立している。 石上神宮の伝承では、物部氏の始祖・宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が布都御魂を奉じて石上の地に鎮斎したとされ、以来この剣は「武の総社(そうじゃ)」たる石上神宮の御神体として、歴代の武門・武将たちの崇敬を集めてきた。奈良時代の大仏開眼(752年)に際しても、東大寺と並んで石上神宮への奉幣が行われたとされ、布都御魂の神威は仏教文化が花開いた時代にも揺るがなかった。