※画像はイメージです。伊達政宗の愛刀
Beloved Swords of Date Masamune
別名: 政宗佩刀録(大倶利伽羅・黒漆拵・奥州の独眼竜の刀)
解説
伊達政宗(だてまさむね、1567〜1636)は、奥州(現・東北地方)を制した「独眼竜政宗」の異名で知られる戦国末期から江戸時代初期の名将であり、武の精神とともに高い文化的教養を持った大名として知られる。政宗は刀剣に対しても鑑識眼が高く、「天下の名刀」を積極的に収集するとともに、奥州の地に独自の刀剣文化を育んだ。彼の愛刀の中でも特に著名なのが「大倶利伽羅」を筆頭とする名刀群である。
大倶利伽羅——倶利伽羅不動を彫った奥州の名刀
大倶利伽羅(おおくりから)は、南北朝時代の相模国(現・神奈川県)の刀工・広光(ひろみつ)が鍛えたとされる刀で、刀身に倶利伽羅龍(くりからりゅう、倶利伽羅剣に絡みつく龍)の彫物が施されていることからその名が付いた。倶利伽羅とは不動明王が変化した龍剣の象徴であり、「悪を断ち切る剣」として武家の崇敬を集めた。伊達家はこの刀を家宝として特に重視し、仙台藩を象徴する刀剣の一つとして後世に伝えた。もとは三尺ほどの大太刀であったが、戦国期に大磨上げされて約67.6cmの刀となった。刀身は相州伝らしく沸が厚く付いた互の目乱れを示し、彫物の倶利伽羅龍は刀身の反りに合わせて巧みに配置されている。本刀は元和六年(1620年)の江戸城石垣普請の褒賞として、二代将軍徳川秀忠から伊達家二代・忠宗に下賜されたと伝わり、現在は重要美術品に指定されている。
黒漆拵——政宗の美意識を体現する黒の世界
伊達政宗の刀剣で特徴的なのは、「黒漆(くろうるし)拵(こしらえ)」と呼ばれる黒を基調とした刀装である。政宗は「漆黒」への強いこだわりを持ち、甲冑(黒漆五枚胴具足)・馬具・刀装を黒で統一することで「独眼竜の威」を演出した。鞘は黒漆で磨き上げられ、柄(つか)には黒染の鮫皮と黒の組紐が用いられる。政宗の黒は単なる色ではなく、奥州の大地と夜の空を支配する覇者のイメージを凝縮した「政宗の美学」の象徴であった。現在、仙台市博物館に複数の政宗ゆかりの刀装具が所蔵されており、黒の美学を体現する拵の数々が研究者や刀剣ファンの関心を集めている。
奥州の刀剣文化——政宗が育んだ東北の刀文化
政宗は仙台藩の藩政の中で刀剣文化の振興にも力を入れ、藩内に優れた刀工を招聘して「仙台打ち」とも称される独自の作風を生み出した。戦国時代には実戦刀として機能的な実用性を重視した刀を求めたが、泰平の世に入ってからは美術的な価値も兼ね備えた名刀の収集に注力した。また、政宗は朝鮮出兵(1592〜1593年)の際に朝鮮半島の刀剣にも触れており、外来の刀剣文化への関心も持っていたと伝えられる。
政宗の愛刀は「独眼竜の武威」を体現するものとして江戸時代から庶民の憧れの的であり、講談・歌舞伎の題材にもなった。現在、仙台市博物館・瑞鳳殿に複数の政宗ゆかりの刀剣・刀装が収蔵されており、東北の武将文化を代表する遺産として大切に保管されている。
逸話・伝説
伊達政宗の愛刀にまつわる最も有名な伝説は、大倶利伽羅の「霊験」である。政宗が初めてこの刀を手にした夜、刀の彫物・倶利伽羅龍が動いたように見えたとも、刀身に青い炎が宿ったとも伝えられる。以来、政宗は大戦の前には大倶利伽羅を拝んで「不動明王の加護」を祈ったと言われ、一度も敗北せず天下三傑(信長・秀吉・家康)の後継の時代を生き延びた政宗の不屈の精神は「倶利伽羅の霊力による」という信仰を生んだ。また政宗の黒漆拵については、関ヶ原の戦い(1600年)後に徳川家康が政宗の刀装の黒の美しさに魅せられて「この拵は誰が作ったか」と問い、政宗が「奥州の職人が私の命で作りました」と答えた際に家康が「奥州の職人も天下に誇れる技を持つ」と称えたという逸話が伝わっている。