※画像はイメージです。青江恒次の太刀
Aoe Tsunetsugu's Tachi
別名: 青江恒次太刀(鎌倉期・青江一門の重鎮)
解説
青江恒次(あおえつねつぐ)は、備中国(現・岡山県)を拠点とした青江派(あおえは)の刀工で、鎌倉時代中期から後期にかけて活躍した。青江派は「砂流し(すながし)」と呼ばれる独特の地鉄の景色が最大の特徴であり、恒次の作品はその典型的な美しさを示す。砂流しとは、地鉄の中に細かな鉄の粒子が流砂のように流れて見える地景(じけ)のことで、青江一門に特有の個性として古来から珍重されてきた。恒次の太刀は、腰反り(こしぞり)が強い典型的な鎌倉期の姿を持ちながら、刃文には穏やかな小乱れか直刃が多く、沸が細かく付いて品格ある仕上がりを見せる。地鉄の砂流しに加え、地沸が均一に付いて潤いのある美しさを呈する点が鑑定家の間で特に評価される。元寇(1274年・1281年)の前後という時代背景の中、実戦で使われうる太刀の品質を高い水準で維持しながら、美術品としての完成度も追求した恒次の作風は、武と美の融合を体現するものとして位置付けられる。現存作品には九州国立博物館蔵の重要文化財指定品を含む複数があり、青江派研究の一次資料として不可欠な存在である。
逸話・伝説
青江恒次には、備中の川辺で砂鉄を選別していた際に河神(かわのかみ)が姿を現し、「この砂鉄で打った刀は国を守る」と告げたという伝説が残る。以来、恒次は毎年川辺で神事を行い、最良の砂鉄を選び出してから鍛冶を始めたとされる。また、元寇の前夜、博多湾に派遣された御家人が恒次の太刀を持って上陸した際、蒙古軍の矢が一本も当たらなかったという伝承があり、「青江の砂流しは国難を退ける霊力を持つ」との信仰を生んだとされる。備中各地の神社には今でも恒次の刀が奉納されており、五穀豊穣・国家安泰の守護刀として地域の人々の崇敬を集めている。