※画像はイメージです。南部藩・津軽藩の刀剣文化
Sword Culture of the Nanbu and Tsugaru Domains
江戸時代の奥羽北部、南部(盛岡)藩と津軽(弘前)藩に伝わった刀剣文化。南部家は国宝「亀甲貞宗」や御物「道誉一文字」を伝え、津軽では弘前藩4代藩主信政に召し抱えられた国廣ら「津軽刀工」の作が県重宝として残る。
解説
奥羽北部の二つの藩
江戸時代の奥羽北部には、盛岡を本拠とする南部藩と、弘前を本拠とする津軽藩(弘前藩)という二つの藩があった。ここでは、両家に伝わった刀剣と、津軽の刀工について、確認できる事例に絞って整理する。
南部家に伝わった名刀
南部家は、鎌倉末期から南北朝期の相州の名工・貞宗の作とされる「刀 無銘貞宗(名物 亀甲貞宗)」を所持していた。南部行信のもとに渡った経緯には諸説がある。元禄11年(1698)、将軍徳川綱吉の尾張藩邸御成に備えて尾張徳川家が譲渡を申し入れ、南部家はこれを承諾した。同刀はその後徳川将軍家に伝わり、昭和40年(1965)に国宝に指定され、現在は東京国立博物館に所蔵される。
道誉一文字の伝来
この譲渡の返礼として、南部家は尾張家から、鎌倉時代の福岡一文字派の太刀(銘「一」)と、綾小路行光の短刀を受け取った。この太刀が「道誉一文字」で、南部家は明治維新後も家宝として守り続けた。昭和3年(1928)、南部利淳が昭和天皇に献上し、現在は御物となっている。
津軽の刀工たち
津軽では、森宗・国吉・國廣の三人が「津軽刀工の三傑」と称される。森宗は越前の出身で、浪岡北畠氏に招かれて浪岡に移り、明応から享禄の頃(1492〜1532)に作刀したとされ、家系は廃刀令まで13代続いたと伝わる。國廣は、天和3年(1683)に弘前藩4代藩主津軽信政に召し抱えられた。
県重宝として残る作
國廣の短刀「奥州津軽住國廣」は元禄期(1688〜1704)の作と考えられ、昭和41年(1966)に青森県重宝に指定された。弘前市の所有で、高岡の森弘前藩歴史館に収蔵されている。このほか弘前市の岩木山神社には「相州住綱広」銘の刀があり、「波岡森宗」銘の短刀(個人蔵)とともに県重宝に指定されている。
この時代の刀の特徴
- 南部家は国宝「亀甲貞宗」と御物「道誉一文字」を伝えた
- 元禄11年(1698)の尾張徳川家との刀剣の授受
- 津軽刀工の三傑(森宗・国吉・國廣)と県重宝の遺品