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※画像はイメージです。日本刀の世界には「写し(うつし)」と呼ばれる独特の制作方針がある。これは、特定の名刀(本歌〈ほんか〉と呼ばれる)の姿・地鉄・刃文の作風を、現代の刀匠が自らの技術で再現しようと試みる作刀のあり方だ。偽物として本歌の銘を騙る「偽銘」とはまったく異なる。写しの刀には制作した刀匠自身の銘が刻まれ、多くの場合「○○写し」と添え銘されることで、それが本歌へのオマージュであることが明示される。
写しの対象として好んで選ばれるのは、相州伝を代表する正宗や郷義弘、備前一文字派の丁子刃、あるいは三日月宗近のような天下の名物と称される太刀の作風だ。刀匠は現存する本歌の写真や押形(おしがた)、あるいは実見の記憶を頼りに、姿・地鉄・刃文という日本刀の三大要素を可能な限り近づけようとする。
写しは単なる模倣ではなく、刀匠にとって高度な修行の一形態でもある。五箇伝の地鉄比較論で扱われているように、備前伝・相州伝・山城伝などの各流派には固有の地鉄や刃文の傾向があり、それを再現するには単なる技術力だけでなく、その流派が重視した美意識や工程の理解が求められる。
こうした試みを重ねることで、若手刀匠は流派ごとの技法を体系的に習得していく。写しは「作風を言葉でなく手で学ぶ」ための実践的な教材なのだ。
写しには本質的な限界がある。本歌が鍛えられた時代の玉鋼と、現代のたたら製鉄で作られる玉鋼とでは、原料となる砂鉄の産地や不純物の量が異なり、まったく同じ地鉄組織を再現することは原理的に難しい。また、数百年の歳月を経て変化した地鉄の表情(経年による「錆び付き」や「潤い」)を、鍛造直後の新刀で再現することもできない。
刀匠たちはこの限界を承知の上で、「本歌の精神に近づく」ことを目標に据える。優れた写しは、本歌そのものの複製ではなく、本歌の様式美を現代の技術で解釈し直した独立した美術品として評価される。
写しの刀は、日本刀のオーダーメイド注文市場の中でも一定の需要を持つジャンルだ。国宝や重要文化財に指定された本歌そのものを個人が入手することは事実上不可能に近いが、その作風を写した現代刀であれば、桁違いに手の届く価格帯で名刀の様式美を所有し、鑑賞することができる。
写しの価値は、単に「似ているかどうか」だけでは測れない。刀剣趣味の世界では、写しを手がけた刀匠自身の技量や、その刀匠が無形文化財制度のもとでどのような評価を受けているかも、写し作品の評価に反映される。著名な刀匠による質の高い写しは、それ自体が独立した美術品としてコレクターの間で取引される。
写しは、居合の稽古や飾り用に作られる模造刀(もぞうとう)とは根本的に異なる存在だ。模造刀は美術館などに展示される場合や真剣ではない前提の道具として扱われるのに対し、写しは玉鋼を鍛え、焼き入れを施して仕上げられた正真正銘の日本刀である。したがって写しの刀も、他の日本刀と同じく都道府県教育委員会が発行する登録証を備えて所持・流通することになる。
この点は写しを購入・鑑賞するうえで見落とされがちだが、重要な違いだ。写しは「本歌に似せて作られた美術品」であると同時に、鍛刀技術という無形の伝統が生きた形で結晶した、紛れもない一振りの日本刀なのである。
写しという制作方針は、名刀の姿を後世に伝えるための一つの手段であると同時に、現代刀匠が歴史上の巨匠たちと技術で対話するための修行の場でもある。本歌を超えることを目指すのではなく、本歌の美意識を理解し、自らの手でその一端を体現しようとする姿勢そのものに、写しという文化の価値がある。
刀剣店で「写し」と表記された現代刀を見かけたら、それがどの本歌を、どの流派の作風で再現しようとしたものかに注目してみると、日本刀鑑賞の新しい視点が開けるはずだ。