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※画像はイメージです。刀の茎(なかご)に刻まれた銘を並べて見ていくと、同じ流派の刀工の名に、同じ一文字が繰り返し現れることに気づく。長船派の光忠・長光・景光・兼光はいずれも「光」を含み、来派では国行・国俊・国光のように「国」が目立つ。この共通の一字は「通り字(とおりじ)」や「通字」と呼ばれ、刀工の系譜を読むときの手がかりになる。
通り字は、師弟や親子、同じ一門のあいだで受け継がれる名乗りの一字である。武家社会で主君や師から名の一字を授かる風習(偏諱)と通じる感覚で、刀工の世界でも名にその一字を用いることで、どの系統に連なる者かが示された。
ただし、これは法律のような決まりではなく慣行である。すべての刀工がこの形に従っていたわけでも、同じ一字を使えば必ず同門だったわけでもない。ここを取り違えると、鑑定の入口で誤った方向に進んでしまう。
流派ごとに代表的な一字がある。ただし、以下は「よく見られる傾向」であり、例外がある。
長船の流れについては、長船光忠や長船兼光の記事で、個々の刀工の作風を詳しく扱っている。来派については来国光の記事が参考になる。
刀工の銘は、国名や住所を示す部分と、本人の名乗りの部分から成るのが基本である。たとえば「備前国長船兼光」という銘なら、「備前国長船」が居住地、「兼光」が名乗りにあたる。通り字は名乗りの部分に入るため、銘を読むときは名乗りの字を分解して見ることになる。
名乗りは二字で構成されることが多く、片方が通り字、もう片方がその刀工個人を示す字という形がよく見られる。「光忠」なら「光」が通り字で「忠」が個人の字、といった読み方ができる。ただし個人の字のほうに共通性がある場合もあり、必ずしも上下どちらかに固定されるわけではない。
通り字が広く使われたことは、同名の別人を生む原因にもなった。兼光の例では、長船の兼光だけでなく、美濃や畿内、東北、北陸などでも同じ「兼光」を名乗る刀工が約50人確認されると紹介されている(和樂webの解説記事)。名だけを見て長船の兼光と決めつけることはできず、銘の字体や、国名・住所の入り方、茎の仕立て、作風を合わせて判断する必要がある。
また、同じ名が数代にわたって使われる例もあり、一人の刀工の作として扱ってよいのか、代が違うのかという問題も生じる。
すべての刀工が一門の字を受け継いだわけではない。師の名とまったく別の名を名乗る者もいれば、時代が下ると受領名(朝廷の官名を借りた名乗り)や号を銘に添える刀工も増える。通り字の有無だけで流派を決めてしまうと、見落としが出る。通り字は、あくまで流派や系譜を考える材料の一つとして扱うのが妥当である。
親子や師弟で同じ名乗りが継がれると、「初代」「二代」と区別して呼ぶ必要が出てくる。名乗りを襲う場合は銘そのものが同じになるため、同じ文字が刻まれていても、代が違えば作風や時代が変わる。師の名の一字を受けて名乗る慣行は、後の時代にも見られる。
このとき手がかりになるのは、銘の字体の癖、年紀(制作年の記載)の有無、刃文や地鉄の作り込みの違いである。名乗りだけで判断せず、複数の要素を重ねて読むことが、系譜を取り違えないための基本になる。
銘を見るとき、次の順で確かめると整理しやすい。
通り字は「一門を探すための地図」であって、「作者を決める証拠」ではない。銘と作風が一致して、はじめて確かさが増す。
TOUKENZAのオンラインカタログでは、出品されている刀剣を閲覧できる。商品ページの銘や刀工名を、通り字の目で読み直してみると、これまで見過ごしていた系譜のつながりが見えてくるかもしれない。