※画像はイメージです。富田信高の妻
Wife of Tomita Nobutaka
安濃津城の戦いで夫を救った女武者
解説
伊勢安濃津城主・富田信高(とみた のぶたか)には正室のほかに継室があり、継室は宇喜多直家の弟・宇喜多忠家の娘で、五大老の一人・宇喜多秀家の従妹にあたり、後に秀家の養女となってから信高に嫁いだとされる。固有の実名は史料に伝わらず、多くの記録では「北の方」などと呼ばれることから、当項目では「富田信高の妻」として立項する。宇喜多秀家という西軍の中心人物と縁続きの女性でありながら、夫・信高は東軍に属したという点でも、関ヶ原前夜の複雑な縁戚関係を象徴する存在である。
慶長5年(1600年)8月24日、関ヶ原の戦いの前哨戦として安濃津城の戦いが起こった。安濃津城は毛利秀元・長束正家・鍋島勝茂ら西軍数万に包囲され、これに対し信高方はわずか千数百の兵で籠城したとされる。攻防のさなか、信高自身も城外の敵中で窮地に陥った際、この妻が甲冑を身にまとい単騎で城外に打って出て、夫を救出したという逸話が伝わる。江戸時代の武家逸話集『武功雑記』には、彼女の出で立ちについて「緋縅の具足に中二段黒革にて縅したるに半月打つたる兜の緒をしめ、片鎌の手槍をおつ取り」と具体的な描写が残されており、鮮やかな緋縅の甲冑と半月形の前立を持つ兜、片鎌槍という装備で敵中に突入した女武者として語り継がれている。「美にして武なり」と評され、その凛々しい姿に敵味方の目が集まったとも伝わる。
こうした逸話は『武功雑記』のような江戸期に成立した武家説話集を主な典拠としており、同時代の一次史料で戦闘の一部始終が裏付けられているわけではない点には留意が必要である。とはいえ、女性が甲冑を着け武器を取って主戦場に打って出たという記述は当時としても異例であり、関ヶ原前夜の混乱の中で語り継がれた数少ない女性の武勇伝の一つとして、後世の絵画や読み物にもたびたび取り上げられている。安濃津城はこの後開城したが、信高自身は後に大名として存続し、戦での奮戦ぶりは徳川方からも評価されたと伝わる。
所持した刀剣
- 片鎌槍(安濃津城の戦いで夫を救出した際に用いたと伝わる、片側にのみ枝刃を持つ手槍)