※画像はイメージです。戦国〜江戸時代前期1554 - 1625
富田重政
Toda Shigemasa
加賀藩士・剣豪「名人越後」
解説
富田重政(とだ しげまさ、天文23年・1554年〜寛永2年・1625年)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・剣豪で、加賀藩主・前田氏に仕えた。「名人越後(めいじん えちご)」の異名で知られ、中条流の達人として高名である。
中条流の継承
重政はもと近江源氏・佐々木六角氏の流れをくむ家に生まれたと伝えられる。父・山崎景邦は中条流の達人であった。中条流を継いでいた富田景政には跡を継ぐ男子がなく、門弟のなかで最も腕の立った重政が景政の娘を娶って婿養子となり、富田家と中条流の家督を継いだとされる。
中条流は室町時代に中条長秀が興した剣術で、小太刀の技を中核とし、「柔よく剛を制す」を旨とする総合武術であった。その技は「平法(へいほう)」と呼ばれた。
加賀藩での活躍
重政は前田利家・利長・利常の三代に仕えた。能登末森城の戦いなどで武功を挙げ、剣の腕とあわせて重用された。家臣の身でありながら一万石を超える高禄を食み、剣豪としては異色の高い地位を得たことで知られる。
後世の評価
「名人越後」と称された重政は、当代屈指の剣客として名を馳せた。将軍家剣術指南役の柳生宗矩との試合が企てられたものの、「名人同士が立ち合えばいずれかに汚名がつく」として中止されたという逸話が伝わり、その実力のほどを物語る話として語り継がれている。寛永2年(1625年)に没した。