※画像はイメージです。島田虎之助
Shimada Toranosuke
幕末三剣士の一人にして勝海舟の師——直心影流島田派を興した剣客
解説
出自と修行
島田虎之助(しまだ とらのすけ、1814年-1852年)は、江戸時代後期の剣客。豊前中津藩士の家に生まれ、若くして堀十郎左衛門に外他一刀流を学んだ。天保八年(1837年)に江戸へ出て、幕臣で当代随一の剣客とされた男谷信友の門に入り、直心影流を修めた。あわせて鈴木清兵衛に起倒流柔術を学んでいる。
道場の開設と直心影流島田派
天保十四年(1843年)、江戸に自らの道場を開き、多くの門人を集めた。その剣風は直心影流島田派と呼ばれ、師の男谷信友、九州柳川の大石進とともに「幕末の三剣士」と並称された。長身から繰り出す剛剣で知られる一方、その教えは技の巧拙よりも心の在り方を重んじるものであった。
剣禅一致の思想
虎之助は儒者や禅僧と交わり、学問と参禅を修行の一部とみなした。「剣は心なり、心正しからざれば剣また正しからず」と説き、剣術の稽古を人格の陶冶と不可分のものとして門人に説いたことで知られる。技術の伝授にとどまらず、剣を持つ者の内面を問うたところに、その剣客としての特色がある。
勝海舟との関係
少年時代の勝海舟(麟太郎)は、鈴木道場での相弟子を経て虎之助の門に入り、直心影流を学んだ。虎之助は勝に「剣には君子の剣と小人の剣がある」と語り、道場稽古だけでなく学問を修め、参禅して心胆を練ることを勧めたという。勝が生涯にわたって座禅を続け、幕末の激動のなかで胆力を発揮した背景には、この師の教えがあったと語られている。
早世と後世の評価
嘉永五年(1852年)、三十九歳(数え)の若さで没し、浅草の正定寺に葬られた。短い生涯ながら、剣技と精神修養を一体のものとして説いたその姿勢は、幕末期の剣術思想に大きな影響を残した。