桃井春蔵
Momonoi Shunzō
「位の桃井」と称された士学館四代目——鏡新明智流の幕末の名手
解説
出自と入門
四代目桃井春蔵(もものい しゅんぞう、1825年-1885年)、諱は直正。駿河国沼津藩士・田中豊秋の次男として生まれた。天保九年(1838年)、十四歳で江戸の道場・士学館に入門し、鏡新明智流を学んだ。二十三歳で皆伝、二十五歳で奥伝を許され、嘉永五年(1852年)、三代目桃井春蔵の婿養子となって四代目を襲名した。
士学館と鏡新明智流
鏡新明智流は安永二年(1773年)、初代桃井春蔵直由が日本橋南茅場町に士学館を開いて創始した流儀である。のちに道場は南八丁堀大富町蜊河岸へ移り、幕末には千葉周作の玄武館(北辰一刀流)、斎藤弥九郎の練兵館(神道無念流)と並んで「幕末江戸三大道場」に数えられる隆盛を見た。
「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」
三大道場の剣風を評した言葉として「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」が広く知られる。四代目春蔵の剣は、速さや剛力ではなく、構えと立ち居振る舞いに現れる格調の高さ——すなわち「位」——において最上と評された。刀を単なる武器としてではなく、遣い手の品格を映すものと見る当時の剣術観をよく示す評言である。
門弟と幕末の志士
安政三年(1856年)、土佐から出府した武市半平太(瑞山)が岡田以蔵らを伴って入門し、春蔵は武市の力量を認めて塾頭に抜擢した。士学館には土佐藩士をはじめ幕末の志士が多く出入りし、剣術道場が政治的な人脈の結節点となった時代を象徴する存在となった。
維新後の生涯
明治元年(1868年)からは浪花隊の監軍兼剣術師範として事実上の隊長を務めた。のちに堺県に出仕し、誉田八幡宮の祠官となる。明治十八年(1885年)十二月三日、コレラにより六十一歳で没した。平成十七年(2005年)、剣道殿堂に顕彰されている。